TOPCON CLUB (トプコンクラブ)

TOPCON CLUB-Forcal Plane Shutter SLR 5 (RE200, 300 & RM300)

 

Topcon RE200

トプコンRE200
TOPCON RE200

 1977年発売の、REマウント(EXマウントにさまざまな機構を加えたREスーパー以来のトプコンのマウント)を使用した普及機。受光素子にCdSを用いた、時代と逆行した平凡なTTLシステムを持つ。ただ低価格をモットーに作られているので、これがトプコンの製品か?と疑いたくなるほど単純かつ低コストな作りである。手間のかかるミラーメーターは採用されず、一般的なカメラと同様にファインダー接眼窓の脇にCdSが置かれている。しかし、IC-1ではこれが左右に一つずつ置かれていたのに対し、こちらは上方に一個だけ置かれているように、徹底的に簡素化されている。露出の確認は針ではなく三個のLEDによるランプ表示で行われる。中心の緑のランプが点灯したら適正露出であるが、実はかなり余裕を持って表示されるようで、一絞り分はあると思えるほど適正範囲が広く表示される。なお、シャッターはコパルスクウェアを採用しているものの、布幕横走りシャッターであったIC-1に設けられていたAE機構も廃されている。
 軍艦部はプラスチック製になり、各部のパーツもおもちゃっぽい。特に電池室のカバーがワンタッチで開閉できるようになったものの、別段ロックされる訳ではないので、ちょっとしたことで開いてしまう恐れがある。セルフタイマーも一旦降ろしたらフラフラな状態で、指で上に戻せてしまう(タイマー自体は有効)。このように、かなり安っぽい作りであるが、その反面、軽量かつコンパクトでもあり、シンプルなこととあいまって使い勝手は悪くない。
 

Topcon RE200 black finished

トプコンRE200
ブラックボディ
TOPCON RE200
Black Finished

 元々国内ではクロームボディーのみが販売されていたが、後にRE300が黒ボディで発売されると、このRE200もブラックボディが国内でも発売されるようになったらしい。海外では早くから白黒両方ともカタログに載っていたのだが、国内では私の知る限り78年の日本カメラショーの製品紹介からになる。ただし、不思議なことに81年のカメラ年鑑の製品紹介では「クロームボディのみ」となっており、実際のところ国内ではブラックボディはほとんど流通しなかったようだ。
 標準レンズはREトプコールN 55mm F1.7で、これも組み立てを簡素化した新設計のものになる。交換レンズも28mmから200mmまでは設計から一新され、「Nシリーズ」と呼ばれたが、レンズには「N」のマークはない。
This is the diffusion model that used the RE mount of launched in 1977. And it is simple make, because it is made a low price to the motto. Therefore, This camera is light and compact and simple, so the user-friendliness is not bad.
Topcon RE300

トプコンRE300
TOPCON RE300

 1978年になるとRE200がマイナーチェンジされて、時代の流れに乗り遅れないようにオートワインダーと連動させる機構を追加したモデルになった。これがRE300で、最後までRE200と並売されていた。主な変更点は自動巻上げ機能が加えられたことであるが、その他にファインダースクリーンがRE200ではマイクロプリズムだったのに対し、RE300ではスプリットマイクロが初めて採用された。ただし、その他に変更点はなく、プラスチックを多用したお世辞にも高級とは呼べない作りは何ら変わらない。
 国内ではRE200がクローム、RE300がブラックボディと言う具合に差別化が図られていたが、外国ではクロームボディもブラックボディも併売されていた。
 RE300用のオートワインダーは「AUTO WINDER-II」と表記され、スーパーDM用のワインダーの次に出たことを示したネーミングになっているが、本体には「TOPCON」の名が入ったプレートが貼られていて、当初から輸出向けOEMモデルを視野に入れて設計していたようである。このワインダーは単三電池6本で稼動し、1コマ撮り専用ながら、コマ辺りの巻上げスピードは0.3秒と大変速いのが特徴である。
Topcon RE300 black finished

トプコンRE300
ブラックボディ
TOPCON RE300
Black Finished

 前述の通りRE300は国内ではブラックボディのみが販売された。もちろんクロームボディとの機構的な差異はない。標準レンズはREトプコール55mm F1.7で、RE200から同じものが使われており、この頃発売された交換レンズはNewの意味を表すNシリーズと呼ばれた。REズームトプコール35-100mm F3.5-4.3が新たに加わった。設計こそ東京光学で行なわれたが、製造は後にシムコを生産するシィーマの前身であった下請けのシマ光学が行なっていた。
 ワインダーの巻上げ速度は実測0.3秒ほどと速いが、その分音は大きい。一コマ巻上げ専用であるが、巻上げ速度の速さから連続的にシャッターボタンを押してもあまり違和感がない。全体としてプラスチックパーツを多く使用しているが、ワインダーを装着して手にしてみると、意外に持った感覚はしっかりとしたものがある。重すぎず軽すぎず、程よい持ち心地と言える。
 ワインダーのグリップにシャッターボタンを設けておらず、中指をグリップの上に乗せて、人差し指でボディ軍艦部上にある通常のシャッターボタンを押さねばならず、初めは戸惑うかもしれない。そのため、グリップを横から握るのは薬指と小指だけになるが、上から中指が押さえるようにして抱え込むので、意外と安定してカメラを構えることができる。
 このカメラが発売された当時は、各社とも比較的安価な、それでいて質の高いワインダー装着可能なTTL-AEモデルを発売していた。よってこのカメラはワインダーを装着できるようにしたものの、自動露出機構は組み込まれることなく、明らかに時代に逆行した感が強かった。とはいえ、いざ使ってみると、軽快でシンプルな操作感から、個人的にお気に入りのカメラの一つである。レンズの性能は概してREオート・トプコールに比べて低下したような印象で、特に逆光時には70年代後半の設計のレンズとは思えないようなゴーストやフレアーが発生する。しかし、そうした癖を知りつつ使うと、以前のトプコールと同様に階調豊かな描写を見せてくれる。
 それはともかく、このモデルをもってトプコンは35mmカメラの国内販売を打ち切ってしまうのである(1980年に生産終了、1981年に販売終了)。
This camera is the minor change model of the Topcon RE200 that launched in 1978. It is able to attach the Auto winder II. The standard lens is the RE Topcor 55mmf1.7 and the interchangeable lens was called the Topcor N series. The meaning is not the "NAVY". It means "NEW". Sometimes, we can find the thing that the EXAKTA name was attached.

 

Topcon RM300

トプコンRM300
TOPCON RM300

 知る人ぞ知る、トプコン最後の35mm一眼レフカメラで、発売は1978年と思われるが、国内販売されることなく終了してしまった。
 ボディの基本的構造はRE300と同じであるが、何とペンタックスのKマウントを採用している。おそらくこれは、EXマウントでは口径が狭くてレンズ設計に支障をきたすという理由もさることながら、REマウントではAE化が難しかったことも大きな理由であろう(絞り優先AEは可能‐特許の問題は別として)。本来トプコンはカメラのAE化には積極的なメーカーであった。後日発表されただけで終わった幻のカメラAM-1もAE化されていた。AE化のためのKマウントへの移行。そのための橋渡し的な役割を果たしたのがこのカメラであるが、残念ながらトプコンはここでカメラ業界からの撤退の方向を選択してしまった。トプコンとしても他社の開発したマウントを採用することは苦渋の選択だったのだろう。草創期のEXマウントの採用とは感覚が違う。事実、トプコンではKマウントをAMマウントと呼んでいたり、RM300を国内販売しなかったりしたことにもその意識の一端が表れているかのようだ(RE300との競合を避けるのが表向きの理由であろうが)。
 標準レンズはAMトプコールMC 55mm F1.7で、光学系はREトプコールと何ら変わりがないが、コーティングは見直され、マルチコーティング化された。ただし、スーパーDM用のREGNトプコールM 50mm F1.4のように全群でマルチコートされておらず、前玉と途中の何枚かのレンズのみに施されている。交換レンズも同様で、28mmから200mmまでKマウント化したが、ズームは35-100mmの他に新たにAMズーム・トプコールMC28-50mm F3.5-4.5が追加された。

 

ExaktaEDX2-640.jpg

エキザクタEDX 2
EXAKTA EDX 2

 元々エキザクタマウントを使って発展させたトプコンREシリーズは、奇しくも末期に本家エキザクタの名前を冠するモデルを受注して生産することになった。このエキザクタEDX2はRE200のネーム違いで、オートワインダーが使える高級バージョンのRE300のOEMモデルのEDX3も同時に販売されていた。それに合わせてレンズ名も「EXAKTAR」となった。
 当時のIhagee Westはトプコンだけではなく複数の日本メーカーに発注しており、76年にはペトリにFE2000やTL1000等を発注していた(
こちらを参照)。ペトリが77年に倒産してしまい、引き続きとしてトプコンに発注した形になるのであろうが、ペトリはM42でこちらはエキザクタマウントであるからある意味本来の姿に戻ったとも言える。それにしても、50年代のユニバーサルマウントだったエキザクタマウントを使って一眼レフを作ったトプコンがエキザクタにカメラを卸すと言うのも何か因縁を感じる。
Exakta EDX3

エキザクタEDX 3
EXAKTA EDX 3

 トプコンRE200をネーム変更したEXAKTA EDX2をIhagee Westに卸した東京光学は、オートワインダー装着可能になったRE300のOEMモデルもEXAKTA名に変更して送り出した。性能に関してはRE300と全く変わりないTTL開放測光一眼レフで、ファインダー内の3点LEDライトで露出の適正・過不足を確認するシンプルなもの。ファインダースクリーンもRE200と同じEDX2のマイクロプリズムのタイプから、RE300と同じスプリット・マイクロ式に変更されている。
Edixa CX5

エディクサCX 5
EXAKTA EDX 3

 エディクサも西ドイツのメーカーのWirgin社が50年代初頭から生産していた一眼レフカメラの銘柄であるが、初期のエディクサ・フレックスやエディクサ・マットは、東京光学がトプコンRを設計する際に、そのデザイン面で大いに参考にした形跡が見られる。そのエディクサのシリーズは基本的な設計をそのまま維持して、60年代後半にもPrismatシリーズを販売していたが、さすがに70年代になると設計が古過ぎて新たなモデルに移行する必要があった。しかし、既に一眼レフは日本製のカメラが世界中を席巻しており、リスクを冒して新たなモデルを設計するより、日本のメーカーにOEM製品を発注する方がはるかに楽だった訳である。
 このエディクサCX 5はRM300のネーム違いで、Kマウントになる。レンズも「edixar MC 55mm F1.7」となっているが、中身はRM300そのものである。
Rony RS1

ロニーRS1
Rony RS1

 エキザクタやエディクサのような由緒正しい銘柄ではなくて、後述するカンタレイやカレナと同じような写真商社の銘柄で、フランス向けに輸出されたロニーRS1と言うモデルがある。このロニーと言うブランドからは、先にヤシマ/オサノンから迷機として有名なDigital 750と同じOEMモデルのRONY EMC/750と言うカメラが発売されていた。そちらは機構的にはM42マウントながら絞り優先AEを達成していたのでハイテクなカメラであったが、如何せん情熱が空回りしてしまったようなところがあって、決して成功したモデルとは言えなかった。その後をシンプル極まりないトプコンRM300の名を変えて、Ronyのプレートを貼り付けただけのこのRS1に切り替えたが、これは大量に発注されたものではないようで、現在中古市場でもほとんど見かけないマイナー機種である。機構的にはやはり完全にRM300と同じで、レンズも名前を「RONY MC 55mm F1.7」と変えた化粧リングが入っているだけである。
Carena KSM1

カレナKSM 1
carena KSM 1

 カレナはリヒテンシュタインに本拠地のある写真機材商社で、自社銘柄を冠したカメラを様々なメーカーに発注して販売していた。マウントも発注したカメラ毎に異なるような按配で、同時期にさまざまなものが同じ広告の中で紹介されていた。75-77年にはペトリマウントのFTEのOEMバージョンと、やはりペトリが作っていたM42モデルのものを同時に発売していた。このKSM 1はKマウントのRM300のネーム違いで、ほとんど同じまま名前だけ変えたKSM 2も存在する。レンズは「carenar」名に変更されたが、画像のものは35-100mm F3.5-4.3が付いている。基本は55mm F1.7であるが、カレナの場合交換レンズは別メーカーに発注する場合も多く、トプコンREマウントながら韓国製のカレナールレンズも見られる。
Quantaray D2-RZ

カンタレイD2-RZ
Quantaray D2-RZ

 アメリカのRizというカメラ用品商社の発注により、東京光学がRM300をベースに作ったのがこのカンタレイDelta 2-RZというOEMモデルである。良く見ると軍艦部のデザインがRM300とは異なり、カレナとほぼ共通のものを使っている。特に、鋭角だったプリズムの頂点部分のデザインが若干平らになっているのが目に付くが、シャッタースピードダイアルを合わせる指標の点が、プリズムカバーの脇から飛び出ているが、これは後の試作品のAM-1でも採用されたデザインで、それを引き継いだシムコLS-1にも共通であることからもはっきりとしている。
 レンズもQuantaray名で、徹底的にトプコン名を消しているが、シリアルナンバーの前に「TP」の文字が入っているのはわずかながらもトプコン製品である主張を感じる。それにしても、ワインダーまで名前を変える徹底ぶりであるが、ワインダーの銘柄を変更したのはこのモデルだけで、その文字色も緑色が使われている。
ExaktaKE4-640.jpg

エキザクタKE 4
EXAKTA KE 4

 エキザクタEDXシリーズと異なり、トプコンRM300のネーム変更バージョンになるため、それまでのEX/トプコンREマウントを改めてKマウントが使われている。レンズ名はEXAKTARが引き続き使われたが、RM300の頃はもうマルチコーティングされていたので、化粧リングにも「MC」の文字が刻まれている。マウントの変更以外はEDX3と何ら変わりがない。あえてRM300との変更点を挙げるとすれば、EDX3と同様にセルフタイマーの皿ネジ、巻き上げレバー、巻き戻しクランクが皆黒仕上げになっている点くらいである。
Exakta KE5

エキザクタKE 5
EXAKTA KE 5

 エキザクタKE5という名の、カンタレイ/カレナとほぼ同様のモデルであるが、こちらには絞りをファインダー内で直視するためのプリズムと、そのための小窓が設けられている。一般的にはファインダー枠の外側に絞り値が映るはずだが、このカメラでは意外なことにファインダー枠内の中央上部に見える。恐らく、ミラーボックス周辺を設計し直さずに、無理に絞り値を直視できるようにプリズムを入れたため、ファインダー焦点面の外側に絞り値を映し出すスペースを設けられなかったのだろう。ただし、初期のAMトプコールは絞りリングがREトプコールNシリーズと同じで、このファインダーでは絞りが読み取れない位置に数字が彫られている。Kマウントの規定はこの辺まできちんと及んでいるらしく、このカメラに本家のペンタックスのレンズを付けるとちゃんと読み取れるようになっている。後日AMトプコール(エキザクタール)もそれに合わせて改められている。
 ワインダーにはAUTO WINDER-IIと書き込まれており、一見トプコンRE300のものを付けたのかと思えるが、面白いことに外した時に上面に出てくるプレートに、TOPCONの文字が印刷されていない質素なものが貼られていて、ただMade in Japanとだけ書かれている点が従来のものと異なる。この他、上のエキザクタEDX3と同じように、巻き戻しクランクとセルフタイマーレバー回りが全て黒く仕上げられている。多分、このカメラが最後の東京光学製の35mmSLRであるのだろう。
The last Topcon's camera. This camera was Launched about 1978. It is adopting the Pentax K mount. After this camera, Topcon announces the AE camera that says Topcon AM-1. However, it was not sold. But this camera was launched from Cima as CIMKO LS-1. The 3'rd image is the camera called Quantaray D2-RZ that the Topcon made for the order of Riz Camera. This camera has the same top cover as AM-1. Next image is CARENA KSM 1. This camera is almost same with QUANTARAY. The 5'th image is EXAKTA KE5. This does not use the EX mount (RE mount). This camera equips the prism in order to find an iris value. When this time, Topcon has selected the direction of the evacuation from the 35mm SLR camera industry regretfully.

 

Topcon AM-1

 トプコンはRM300を生産しつつ、次の一眼レフモデルを開発していた。これが幻のTOPCON AM-1で、当時の各社の人気モデルであったTTL-AE+ワインダー装着可能なコンパクトモデルになる。絞り優先式AEで、ファインダー内にはシャッタースピードがプリントされ、その脇に適正露出を示すLEDが並んでいる。カメラの基本的構造は当時のものとしては大変オーソドックスなもので、ミノルタXDから始まる両優先AEやキヤノンA-1のマルチ測光等と比較すると、例えこれを販売したとしても、既にこうしたモデルに興味を持つ若い層にはトプコンは意識の対象外のようなメーカーになっており、相変わらずの苦戦を強いられたことは想像に難くない。しかし、少なくともRE200/300よりは間違いなく競争力はあったはずで、これを機にKマウントのレンズラインアップを充実させて、一眼レフの生産を存続させて欲しかったが、トプコンが下した結論は「撤退」。結局は優秀な設計士を抱えてさまざまな世界初の機構を生み出してきたトプコン一眼レフカメラも、ここで終焉を迎えることになってしまった。

Cimko LS-1

シムコLS-1
CIMKO LS-1

 東京光学が一般向けの35mmカメラ市場から撤退した81年、ニューモデルであるAM-1の開発はほぼ終了していた。それを引き継いだ下請けのシマ光学が新会社のシィーマを設立し、83年に世に送り出した絞り優先AEのKマウントモデルがこのシムコLS-1である。極わずかな変更点が見られるものの、ほとんどAM-1と同じ作りになっている。同時に発売された交換レンズも、多くがAMトプコールそのものであったが、後ズームレンズを中心に、シムコ独自のレンズを多数生産した。シィーマの設立とともに東京光学のカメラ・レンズ設計に携わっていた何人かの社員も職場を移ったそうで、このカメラには正真証明、トプコンの血が流れている。ただし、標準レンズは55mmではなく50mmで、設計自体が異なったより小型のレンズになっている。カメラ本体もかなり小型化されて、作りもRM300と比べてかなりしっかりしている。
 丁度70年代末から80年代前半は、各社とも小型軽量のAE一眼レフカメラが流行で、オートワインダーは必須のアイテムになっていた。このカメラも2コマ/秒のワインダーが用意されていた。ただ、国内ではシムコブランドで魅力的なカメラを作っても、なかなか市場は振り向いてくれず、シィーマはサードパーティの交換レンズメーカーとして認識されていたところがある。また、国内よりも海外に向けてレンズを色々な銘柄で卸していたようで、やはり主力はカメラボディよりもレンズが担っていた。
Lindenblatt KL-2

リンデンブラットKL-2
LINDENBLATT KL-2

 シムコLS-1は東京光学からカメラやレンズの設計図や工作機械等をそのまま引き継いで生産されたが、面白いことに海外の銘柄のOEMモデルはほとんど見かけない。このカメラはアメリカのケンブリッジカメラからの発注で納入されたリンデンブラットKL-2で、接着された銘板以外に変更点はほとんどないが、細かい点で巻き上げレバーの軸カバーの皿ネジが変更されている。また、機種名が軍艦部に直接プリントされていたシムコに対し、リンデンブラットでは軍艦部下の本体側に文字をプリントした板が貼り付けられている。この点から、シィーマではこのカメラを色々な銘柄・機種名に変更し、OEM生産しようと画策していたのかも知れないが、リンデンブラットの他の銘柄のモデルは今のところ確認されていない。
 シムコは80年代後半には経営に行き詰まり、設計図や組み立て機材もろとも中国の工場に譲渡され、現地で全く同じものが生産された。ただ、部品の材質に問題があったようで、故障率が高くて商品としてはなかなか成り立たなかったようである。一時、中国製シムコがヤフーオークション等を通じて販売された。また、中国では「SEAMA」と言う銘柄を使ったTTLマニュアル機のDC-1と言うモデルも作られたが、これも部品の精度が悪くて今やほぼ故障しているものが多いようだ。
Development of AM-1 which is a new model was ended mostly for 81 years which the Tokyo optical Co. withdrew from 35mm camera industry for general. The Cima which succeeded it sold this camera in 83. Although there are few changed parts, it is almost the same as AM-1. Cimko lenses put on the market those were same as AM Topcor lenses. But the Cima produced many original lenses late. It can be told to this camera that the blood of TOPCON is flowing. In addition, this camera changed the name "Lindenblatt KL-2", and was put on the market in the United States.

 

 トプコンの中級機種は、RE-2以来苦しい戦いを強いられていたようで、国内では販売台数が少ない。特に後期のモデルはトプコンがほとんど見向きもされなくなってしまった頃のもので、全く国内では売れなかったのだろうか、滅多に中古市場に姿を現すことはないが、もしRE200や300が店頭に並ぶことがあったとしても、レンズ付きでもそう高い値付けにはならないだろう。一部こうしたモデルを希少価値という面から法外な値をつける店もあるようだが、そんなことをしても誰も買ってくれないだろう。第一、日本でこそ少なくても、海外向けにはかなりの数が生産されたので、その希少価値も実は怪しいものである。とにかくちょっと高いと思ったら手を出さない方が良い。
 RE200/300に対し、RM300やEXAKTA及びQUANTARAYやCARENAネームを持つものはなかなか見付からないだろう。RE200シリーズ全般に言えることであるが、これらは安価なモデルであり、その作りも安っぽいので、わざわざ大切に扱われなかったと思われる。よって、それなりに生産されたRE200はともかく、このシリーズの多くの場合、今となってはしっかりとした形で残っているもの自体少なくなっていることは想像に難くない。事実、このシリーズの弱点である、巻き戻し/裏蓋ロック解除兼用クランクのシャフトを支える内部の筒が切り欠きのあるプラスチック製で、強く良く引き上げられた際にここが割れてしまうことが多く、巻き上げクランクのフラフラしたものが大変多い。eBayや個人売買等で海外から購入の際は、この点を良く確認しておく必要があるが、軍艦部を外すことができれば、そう難しくなく自分で直すことができる。
 ところで、これらのカメラ用のアクセサリーはほとんど手に入らないが、根気よく探せばいろいろと出てくるかもしれない。と言っても、RE200シリーズ用のものは元からあまり出ていないので絶望的であるが、かなりREスーパー・RE-2系と共通のアクセサリーが多いのは救いである。
 こうして見ると、RE200系のカメラは取るべきところが何もない駄モノであるように思えるが、機構的に見ると正直言ってその通りである。しかし、カメラ愛好家はそうした面だけでカメラと対する訳ではない。仮に写りと使い易さだけで見ると、世のクラシックカメラは全て否定されてしまう。RE200系カメラはクラシックカメラと呼ぶにはまだまだ新しいものだが、やはり私にはどこまでも単純に作られたこのカメラに不思議な愛着があることは確かである。あれほど工夫を凝らして時代の最先端を進もうと努力し、燦然と輝いていた東京光学が最後に放った光は、一般の目にはただの消えかけた灯火であるが、私の心の中では何か温もりを感じさせるものがある。

 

Topcon Club

FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.1
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.2
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.3
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.4