TOPCON CLUB (トプコンクラブ)
トプコン・スーパーD 巻き上げ機構も変更され、REスーパーでは巻き上げレバーの回転角度が180度であったものが、スーパーDでは135度に狭められた。分割巻き上げができるのは従来通りだが、ラチェット音が加えられた。 |
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デザイン上の変更点は、巻き上げレバーの先端にプラスチックのカバーが付いたこと、ペンタプリズムカバーの上面にシボ皮が貼り付けられたこと、そしてシャッターボタン・セルフタイマーレバーの台座の板が消え、絞り込みレバーも黒いものに変更された程度である。 ミラーのスリットのコーティングもわずかに変更され、シアンがかったものが使われているが、スリットのデザインは変わらず、いくつかのパターンが用意されていた。 レンズのデザイン的な面も変更され、超広角レンズである20mmと25mmを除き、この頃から鏡胴の色が黒に統一された。以前のタイプでは、黒鏡胴でさえも28mm〜200mmレンズの鏡胴の先端はきれいに仕上げられたメッキのリングが使われていたが、さすがに反射を引き起こす可能性があるため、全て黒く仕上げられるようになった。上段の画像はオーソドックスな白ボディであるが、レンズは御覧の通り黒鏡胴のREオートトプコール58mm f1.8である。さらにシャッターロック周辺やセルフタイマーの台座、シャッタースピードダイアルなども黒く仕上げられ、黒ボディとの差を少なくしようとしていることが分かる。部品の統一化によるコスト削減の結果なのだろうか。 |
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トプコン・スーパーD |
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This is the minor change model of launched in 1972. There is not a big change in camera itself, just the name of super D unified with the Beseler Topcon brand for America. Newly the mirror up system and the lock of shutter button were established. |
トプコン・スーパーDM その他では、絞り値が直接ファインダー内で読み取れるCCファインダーが標準で装着された。ミラーアップもスーパーDではギアのような形の物を回すようになっていたが、このカメラではレバー形のものに変更され、使い勝手が向上している。 |
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しかし、何と言ってもこのカメラの最大の特徴はオートワインダーが取り付けられるようになったことだろう。モータードライブの概念はずっと前からあったが、オートワインダーの概念はこのカメラが初めてもたらした。一コマ撮り専用だが、使ってみるととても重宝する。人によってはその音をうるさく感じるようだが、それは現代のものと比べるからであって、70年代後期に各社からいっせいにワインダーが発売されたが、それらの音と比べてみると決して大きい訳ではない。事実78年9月号の『日本カメラ』では、各社のワインダーを速度と音の面からテストしているが、その中では音は小さい方に属する結果が出ている。 | |||||||
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トプコン・スーパーDM |
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これが初期のDMのモータードライブ・ワインダーと後期の駆動接点の違い。左の前期のものは、ただ皿状の金属板(カプラー)の両端がモーター側の二本のピンと噛み合うよう削られていただけであり、うまく噛み合わない時はワインダー背面の赤い小さなボタンを押してモーターを駆動させ、歯が噛み合った時にその抵抗で止まるという仕掛けであった。これに対し後期のモデルではここが改良され、カプラーの両端の、回転方向とは逆の側が斜めに削り落とされ、たとえ平坦な部分にモーターの歯があっても、ただモーターを回転させれば次第に溝のほうに落ちていき、最終的にはしっかりと噛み合うようになっている。このため、位置調節用のボタンが省かれ、名前もオートワインダーSと変更されたが、Sの名が付く前のワインダーでも位置調整ボタンが省略されたものがある。 | |||||||
後期ボディにはもう一つ利点があった。それまでのワインダーは歯が噛み合った時点で、もう巻上げレバーはウンともスンとも言わないが、ワインダーSは後期型のボディと組み合わせれば、何とかレバー巻上げができるようになった。ワインダー側のカプラーはスプリングで押し出されていて若干沈むので、後期ボディのカプラーと組み合わされてこれが可能になった。ただし、正直言ってかなりぎこちない感触であり、とてもお勧めできるものではないが。 ワインダーについてはここをクリック! | |||||||
The Topcon Auto Winder changed the name at the later time and it was called "Auto Winder S". And the connection system of the gear was improved. | |||||||
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トプコンの一眼レフカメラはスーパーDMとRE200/300、RM300をもって一般向けのカメラ市場から81年に撤退してしまった。70年代に入ると、カメラ市場はある程度方向性が決まりつつあって、高価なシステムカメラはニコンF・F2の独壇場から、キヤノンF-1が食い込んできて、多少勢力を拡大している中で、トプコンはREスーパーに時点で既に完成されたシステムを持っていたとは言え、基本構造を変えることなく10年間生産し、72年のスーパーDもモデルチェンジとは言えない小変更に留まったのは戦略的に失敗だったと思われる。スーパーDMも世界初のオート・ワインダーの概念をもたらしたものの、いかんせん地味なカメラのレッテルがもう定着していた頃で、その後にこの発想を活かしたキヤノンAE-1やペンタックスMシリーズに皆の目は向きこそすれ、トプコンは見向きもされなくなっていたのである。やはり高級なシステムカメラとしてはマウント口径が小さく、レンズの開発に支障をきたしたことや、せっかく色々なレンズを試作して生産目前までこぎつけても、売れなさそうなら発売しないと言う閉塞感もマイナスポイントである。売れなくてもしっかりカタログに載せておくのがユーザーの心をつかむのに、それをすることなく、他社がどんどん広げていくレンズの品揃えに比べて、70年代のトプコンのレンズラインアップは少々見劣りすると言っても良い品揃えであった。しかし、定評あるレンズ性能やマクロシステムは90年代以降に見直される形で再評価され、それによって今でもファンの心をつかんでいる。現在はフィルムカメラの衰退が著しいが、デジタルカメラのミラーレス一眼が各社から登場し、ミラーBoxのないフランジバックの短さを活かして、さまざまな銘柄のマウントアダプターを使うことで、大半の一眼レフ用レンズをデジタルカメラで使えるようになった。結果としてトプコールレンズも一時の底値は終わり、今では嗜好品としての地位を固めているように思える。しかし、自分としてはREオート・トプコールは、やはりトプコンREスーパーやスーパーDMで写してこそ、使っている喜びが倍加して生まれるように思えてしまうので、今でもSONY α7よりトプコンのカメラの方が稼働率は圧倒的に高い。今後も使える限り使っていきたいカメラ達である。 |
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