TOPCON CLUB (トプコンクラブ)

TOPCON CLUB-Forcal Plane Shutter SLR 3 (Super D - Super DM)

 

Topcon Super D

トプコン・スーパーD
TOPCON Super D

 1972年発売のマイナーチェンジモデル。71年末には輸出向けに販売が開始されていた。スーパーDの名はそれまでのアメリカ向けのベセラー・トプコン・スーパーDと統一しただけで、REスーパーとこの新しくなったスーパーDの間に機構的な面で大きな変更はない。その中で目に付く変更点を挙げると、新たにミラーアップ機構とシャッターボタンのロックが設けられたこと等である。このミラーアップ機構は、マウントカバーの向かって右下にダイアルが設けられ、これを上に回すとミラーがアップする仕組みである。しかし、わずかにしかダイアルの頭が出ていないので、指掛かりは悪い。
 巻き上げ機構も変更され、REスーパーでは巻き上げレバーの回転角度が180度であったものが、スーパーDでは135度に狭められた。分割巻き上げができるのは従来通りだが、ラチェット音が加えられた。
 デザイン上の変更点は、巻き上げレバーの先端にプラスチックのカバーが付いたこと、ペンタプリズムカバーの上面にシボ皮が貼り付けられたこと、そしてシャッターボタン・セルフタイマーレバーの台座の板が消え、絞り込みレバーも黒いものに変更された程度である。
 ミラーのスリットのコーティングもわずかに変更され、シアンがかったものが使われているが、スリットのデザインは変わらず、いくつかのパターンが用意されていた。
 レンズのデザイン的な面も変更され、超広角レンズである20mmと25mmを除き、この頃から鏡胴の色が黒に統一された。以前のタイプでは、黒鏡胴でさえも28mm〜200mmレンズの鏡胴の先端はきれいに仕上げられたメッキのリングが使われていたが、さすがに反射を引き起こす可能性があるため、全て黒く仕上げられるようになった。上段の画像はオーソドックスな白ボディであるが、レンズは御覧の通り黒鏡胴のREオートトプコール58mm f1.8である。さらにシャッターロック周辺やセルフタイマーの台座、シャッタースピードダイアルなども黒く仕上げられ、黒ボディとの差を少なくしようとしていることが分かる。部品の統一化によるコスト削減の結果なのだろうか。

Topcon Super D black finished

トプコン・スーパーD
ブラックボディ
TOPCON SUPER D
Black Finished

 スーパーDのブラックボディはタイムラグがなく72年に同時に発売された。REスーパーの頃はブラックボディのためにREオートトプコールレンズの特徴であったボディと同色の目の細かい砂地メッキによる白鏡胴が廃され、全て黒鏡胴に仕上げられた。同時にこの時には当時ポートレートレンズとして脚光を浴びつつあった大口径の長焦点レンズであるREオート・トプコール85mm F1.8をデビューさせたが、その他の試作レンズはお蔵入りになってしまった。それまでの黒鏡胴のレンズと異なり、58mm F1.8や35mm、28mm等の場合、以前の黒レンズは先端にあるフードのバヨネットは銀メッキ仕上げであったのに対し、72年以降のものは全体が黒仕上げで、先端やバヨネットの角の部分等が削られてアルミ地が露出してアクセントになっている。

Beseler Topcon Super D

ベセラー・トプコン
スーパーD
Beseler TOPCON
SUPER D

 こちらは輸出用のベセラートプコンスーパーDにREオートトプコール58mm f1.4を装着したもの。名前はREスーパーの頃のベセラーモデルと何も変わりはないが、機構上は上記の通り国内物と同じく変更された。この黒鏡胴のレンズは絞りリングを回したときの感触が以前の物と異なり、結構はっきりとした手応えと音を伴ってクリックされる。単純に見れば品のない感触になったともとれるが、以前の通り半絞りも利くし、動作も確実になったこともあり、なかなか歯切れの良い印象である。
 ところで、このスーパーDの時代は、なるべくコストダウンを図っていたが、単に材質を下げるよりも、設計の見直しによる簡素化されたパーツを部分的に採り入れて、スムーズにコストダウンを成功させている(アクセサリーシューの電気接点や露出計スイッチなど)。だからと言って、従来のモデルと性能面では全く変わりはない。
This is the minor change model of launched in 1972. There is not a big change in camera itself, just the name of super D unified with the Beseler Topcon brand for America. Newly the mirror up system and the lock of shutter button were established.

 

Topcon Super DM early model

トプコン・スーパーDM
前期型
TOPCON SUPER DM
early model

 1973年発売の最後のREスーパー系カメラ。標準レンズはREGNトプコールM 50mm F1.4または1.8のフラッシュマチック機構付き。GN(ガイドナンバー)レンズは先にニコンから45mmレンズが出ていたが、トプコンのものはピントリングに特殊なカムを設けてピントリングと絞りリングの回る間隔を等しく揃え、GNレンズ化している点で異なる。ニコンのものはこの二次曲線的に変化するカムを持たないため、レンズをf2.8以下にせずに焦点距離も短か目にすることで、絞りとヘリコイドの回転量を多少ずれても許容範囲内でほぼ近い位置に収めるようにしている。また、REGNトプコールはGN値と絞り値を連結させたとたん、絞りのクリックが解除され、距離に応じた中間絞りが自由に使えた。
 その他では、絞り値が直接ファインダー内で読み取れるCCファインダーが標準で装着された。ミラーアップもスーパーDではギアのような形の物を回すようになっていたが、このカメラではレバー形のものに変更され、使い勝手が向上している。
 しかし、何と言ってもこのカメラの最大の特徴はオートワインダーが取り付けられるようになったことだろう。モータードライブの概念はずっと前からあったが、オートワインダーの概念はこのカメラが初めてもたらした。一コマ撮り専用だが、使ってみるととても重宝する。人によってはその音をうるさく感じるようだが、それは現代のものと比べるからであって、70年代後期に各社からいっせいにワインダーが発売されたが、それらの音と比べてみると決して大きい訳ではない。事実78年9月号の『日本カメラ』では、各社のワインダーを速度と音の面からテストしているが、その中では音は小さい方に属する結果が出ている。

Super DM bottom cover
CC finder system

 左上段の写真はスーパーDM前期型の底面で、モータードライブ用カプラーの右に巻き戻しボタンが見えるが、更にその横に小さな丸いものが見える。これが新たに設けられたワインダー用電気接点である。REスーパーやスーパーDにはもちろんこの接点は設けられていないが、スーパーDM発売後に東京光学が有償でスーパーDにワインダー用電気接点を増設したこともあったらしい。また、この前期型のワインダー/モータドライブ用のドライブギヤの形状は、RS/REスーパー以来変わらない円盤の左右の端に切り欠きのあるタイプのまま変更されていない。
 ところで、このカメラが発表された時、メーカーではワインダー付きのボディを「スーパーDM1」と呼び、ワインダーなしのボディ単体を「スーパーDM2」と名付けていた。なぜそんなところで区別したのかは不明であるが、当時の『写真工業』誌や『アサヒカメラ』誌等では、しっかりスーパーDM-1と記載されている点が面白い。
 私は撮影の際、このスーパーDMを長年使ってきたが、やはりトプコンのカメラの中では最も使い勝手の良いカメラであると今でも思う。当然他のメーカーのカメラにも色々と優秀なカメラはあるだろうが、私の場合、もう手がこのカメラに合わせて動いてしまうので、他のカメラだとどうしても違和感を感じてしまうことがあるが、近年、50-80年代のマニュアルフォーカスの一眼レフカメラが格安に入手できるようになって、当時のライバルメーカーのものと使い比べて楽しんでいるが、やはりその中でもスーパーDMはかなり上位に位置するカメラであると確信できるようになった。いずれにせよこのカメラがREスーパー系の集大成であり、最も優れたトプコンの35mmカメラであることに違いはない。
Super DM body scale

 スーパーDMのボディスケール図。上下から見ると、CCファインダーの出っ張りに合わせてワインダーグリップが出ているのが分かる。高さもたった25mm増えただけで、横幅もわずか7.5mmしか変わらない。これが後から設計されたものとはちょっと思えないほど、うまくまとまったデザインであると言える。実際手にしてみると、グリップを握ったところに自然に指先がシャッターボタンに掛かるようになっているように、カメラボディとワインダーの一体感は格別のものがある。のちにライカM4-2のワインダーがこのデザインと良く似たものになっていたが、握ってみるとシンプルな筒状のグリップの上面には何もなく、シャッターボタンは普通に軍艦部上面にあるため、あまり握り心地は良くはなかった。前面シャッターボタンだからこそ生きるグリップ形状であると思う。
 しかしワインダーを装着したことによる操作上の問題点も生まれた。それは、ワインダー装着状態では手巻きができなくなってしまったことに加え、メーター電源も操作できなくなってしまったこと等が挙げられる。電源については当初考慮されていたらしく、試作品はしっかりとその位置に穴が開けられていたが、強度的に問題があったのかもしれない。市販品は裏蓋オープンのボタンの部分にのみ穴が開けられている。また、電池ボックスを下に開くと、そのまま電池が丸見えになってしまうのもデザイン上の手落ちであると思われる。なるべく高さを低く押さえたかったのかもしれないが、このあたりは多少厚みがあってもいいから、しっかりとした作りが望まれる。
Topcon SuperDM later model

トプコン・スーパーDM
後期型
TOPCON SUPER DM
later model

 画像ではほとんど同じように見えるが、スーパーDMは70年代末に小変更がなされ、それに合わせてオートワインダーも一部変更され、「AUTO WINDER-S」と刻印されるようになった。その変更点はワインダーと本体の巻き上げ軸に連結したカプラーの形状が見直され、円盤上に設けられた切り欠きが駆動方向の側はそのまま角が立っているが、反対側は緩やかな斜面のようになっていて、ワインダー側の歯が始めから噛み合っていなくても、この斜面を滑り落ちて噛み合うようになった(下の画像参照)。そのため、それまでのワインダーではワインダーの歯と本体の切り欠きの位置を合わせるための手動スイッチが設けられていたが、オートワインダーSではそれが不要になったので付けられていない。
Super DM motor drive coupler  これが初期のDMのモータードライブ・ワインダーと後期の駆動接点の違い。左の前期のものは、ただ皿状の金属板(カプラー)の両端がモーター側の二本のピンと噛み合うよう削られていただけであり、うまく噛み合わない時はワインダー背面の赤い小さなボタンを押してモーターを駆動させ、歯が噛み合った時にその抵抗で止まるという仕掛けであった。これに対し後期のモデルではここが改良され、カプラーの両端の、回転方向とは逆の側が斜めに削り落とされ、たとえ平坦な部分にモーターの歯があっても、ただモーターを回転させれば次第に溝のほうに落ちていき、最終的にはしっかりと噛み合うようになっている。このため、位置調節用のボタンが省かれ、名前もオートワインダーSと変更されたが、Sの名が付く前のワインダーでも位置調整ボタンが省略されたものがある。
 後期ボディにはもう一つ利点があった。それまでのワインダーは歯が噛み合った時点で、もう巻上げレバーはウンともスンとも言わないが、ワインダーSは後期型のボディと組み合わせれば、何とかレバー巻上げができるようになった。ワインダー側のカプラーはスプリングで押し出されていて若干沈むので、後期ボディのカプラーと組み合わされてこれが可能になった。ただし、正直言ってかなりぎこちない感触であり、とてもお勧めできるものではないが。 ワインダーについてはここをクリック!
The Topcon Auto Winder changed the name at the later time and it was called "Auto Winder S". And the connection system of the gear was improved.

Super DM 2 version

 最終ロットのスーパーDMは、それまで連綿と受け継がれてきたRE系の基本デザインと、一部がわずかに異なる点がある。良く見ると下の最終ラインのプリズムカバーに刻まれているTOPCONのロゴが細くなっているが、それよりもボディのエプロン部に注目して頂きたい。本来なら、ボディのマウントカバーの上の部分はペンタプリズムカバーの幅に合わせて少しだけ張り出しており、段差がついている。しかし、最終ロットのものはここがプリズムの幅に合わせておらず、エプロン部の端から端にかけてやわらかな曲線で張り出しているのである。何で最後の最後になってこのようなところを変更したのか、その真意は分からないが、ちょうどこの辺りを露出計とシャッターダイアル・絞り連動爪を結ぶ鎖が通っているので、何か関係があるのかも知れない本来のデザインのほうが器量良しだが、なぜこのようなことをしたのかとあれこれ考えるのもまた楽しいものである。
The photograph of the top is many super DM's image, and the photograph of under is the model of a final production line.

  

 トプコンの一眼レフカメラはスーパーDMとRE200/300、RM300をもって一般向けのカメラ市場から81年に撤退してしまった。70年代に入ると、カメラ市場はある程度方向性が決まりつつあって、高価なシステムカメラはニコンF・F2の独壇場から、キヤノンF-1が食い込んできて、多少勢力を拡大している中で、トプコンはREスーパーに時点で既に完成されたシステムを持っていたとは言え、基本構造を変えることなく10年間生産し、72年のスーパーDもモデルチェンジとは言えない小変更に留まったのは戦略的に失敗だったと思われる。スーパーDMも世界初のオート・ワインダーの概念をもたらしたものの、いかんせん地味なカメラのレッテルがもう定着していた頃で、その後にこの発想を活かしたキヤノンAE-1やペンタックスMシリーズに皆の目は向きこそすれ、トプコンは見向きもされなくなっていたのである。やはり高級なシステムカメラとしてはマウント口径が小さく、レンズの開発に支障をきたしたことや、せっかく色々なレンズを試作して生産目前までこぎつけても、売れなさそうなら発売しないと言う閉塞感もマイナスポイントである。売れなくてもしっかりカタログに載せておくのがユーザーの心をつかむのに、それをすることなく、他社がどんどん広げていくレンズの品揃えに比べて、70年代のトプコンのレンズラインアップは少々見劣りすると言っても良い品揃えであった。しかし、定評あるレンズ性能やマクロシステムは90年代以降に見直される形で再評価され、それによって今でもファンの心をつかんでいる。現在はフィルムカメラの衰退が著しいが、デジタルカメラのミラーレス一眼が各社から登場し、ミラーBoxのないフランジバックの短さを活かして、さまざまな銘柄のマウントアダプターを使うことで、大半の一眼レフ用レンズをデジタルカメラで使えるようになった。結果としてトプコールレンズも一時の底値は終わり、今では嗜好品としての地位を固めているように思える。しかし、自分としてはREオート・トプコールは、やはりトプコンREスーパーやスーパーDMで写してこそ、使っている喜びが倍加して生まれるように思えてしまうので、今でもSONY α7よりトプコンのカメラの方が稼働率は圧倒的に高い。今後も使える限り使っていきたいカメラ達である。

 

Topcon Club

FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.1
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.2
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.4
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.5