TOPCON CLUB (トプコンクラブ)

Focal Plane Shutter SLR 2 - Topcon RS & RE Super

 

Topcon RS

トプコン RS
TOPCON RS

 REスーパーの完成を待ち望む営業側の要請から、急遽TTLシステムの完成を前に生産されたモデル。1963年4月に国内の雑誌に紹介されたが、すぐ後の5月にREスーパーが完成したので、結果的に非常に短命なモデルとなった。ただし、海外ではもう少し早く62年末に発売されていたようだ。当時トプコンは後の他社のようにTTL機とその廉価版のマニュアル機といった並売をしなかったため、その台数は1000台にも満たない可能性が大である。
Topcon RS  底蓋の写真で分かる通り、モータードライブはすでに取り付け可能であるが、もう一方のキャップ、すなわちREスーパーでの電池室のものはこちらには当然付いておらず、ASA感度目盛りになっている。露出計はRIIIと同じくシャッターと連動させたクリップオンタイプの外付け式だが、RIIIのものがセレン光電池を使っていたのに対し、こちらはCdSを用いていた。そして、RIIIは前面に取り付け用のシューを設けていたが、こちらは小さな突起がシャッターボタンの上部とシャッターダイアル上面にあるだけで、かなりすっきりしたデザインになった。ボディのメッキはRIIIと同様に粗目でかなりぎらついた感じである。
Topcon RS early model & later model
 ところで、ペンタプリズムカバーの正面のネームプレートは、薄い金属板にプリントされたものを貼り付けて作られているが、上の画像の二つのRSではその文字の大きさと太さが異なる点に注目して頂きたい。左はシリアルナンバーの若いもので、右は最後期のものである。極めて生産台数の少ないと思われるカメラにも、意外なことにこのような微細な違いが存在する。
Topcon RS with CdS meter  こちらの画像は上記外光式の露出計で、こうして見ると結構大きいことが分かる。しかし、RIIIのセレン式のものと比較すると、随分すっきりとしている。特にダイアル周りのデザインが前のものと異なり、相当高級感があって好感が持てる。しかし、実際問題として、このメーターを付けて撮影する気はどうも起きないだろう。一々メーターを確認してそのデータを手動で絞りに伝達させるのが面倒なだけではなく、何しろ大きい。
 ところで、このメーターはシャッタースピードにしか連動しないが、電源スイッチを兼ねたダイアルにH(ハイ)とL(ロー)の二段階が選択できるようになっていて、ASA100で1/60秒の場合、f1.4からf22まで測光可能である。これはREスーパーよりも広範囲に測光できる。

Topcon RS mirror

 RSは形こそREスーパーと同じだが、TTLではないので、REスーパーの特徴であったミラーメーターももちろん付いていない。したがって、ミラーには何らスリットが刻まれておらず、ファインダーを覗いてレンズを絞り込んでも煩雑になることはない。ミラーメーターはなくても、ファインダー系は後のモデルと変わりはなく、ペンタプリズムもファインダースクリーンも交換できる。標準のスクリーンはスプリットイメージで、中心部のスプリットの周辺にはマット面があって、さらのその外側がフレネル面になっているが、マット面とフレネル面の境で不連続になり、ピントを合わせてもここが少しずれて見える。これはREスーパーになってもしばらく改善されず、中期型になってやっと見やすいものに変更された。スプリットイメージのプリズムの角度はRの頃から6.5度と緩やかで、暗いレンズでもプリズムの片側が黒くならないように考慮されているが、ピント合わせの際の精度は他社の10度くらい傾斜の付いたものに比べて弱くなる可能性があるが、シビアな焦点合わせをしたいならマグにファイアーを使えば良いので、使っていて不具合はない。

Topcon RS leaflet

 面白いことに、ベセラーから新型カメラの要望が強かった結果、東京光学の営業部にせかされる形で開発部としてはあまり出したくなかった"未完成品"を「RS」名で外部測光式一眼レフとして渋々送り出したが、肝腎のBeselerネームは付けられたモデルは作られておらず、このリーフレットもアメリカ向けではなくてドイツ向けのものである。すなわち、まずはヨーロッパ向けに1000台やそこらのロットがまず生産されて販売されたものの、すぐにREスーパーの完成の目処が立って、ベセラー向けには初めから世界初のTTL開放測光機が割り当てられたようである。このRSは生産した分だけはもちろん販売したが、すぐにREスーパーに取って替えられてしまったので、現在では大変希少なモデルとなってしまった。実際RSが市場に現れることは非常に稀で、トプコンのカメラの中では最も入手が困難なモデルであると言える。
 RSは機構的に問題が生じても、REスーパーのジャンクボディから部品を移植することも可能なので、後々パーツに困ることはないが、専用のCdSメーターやREスーパーとは異なるデザインのプリズムカバー等は、さすがに代用が利かない。
 さて、私が実際に手にとって確認したものの中で最もシリアルナンバーの遅いものは、2つ上の写真では右のTOPCONのロゴが大きく太い線で刻まれているタイプのものだが、全般的には番号が320で始まるものと321で始まるものがあり、それぞれ千番台の番号が入っている。即ち3201XXXと3211XXXとがある訳だが、ロゴが変更されたものは32114XXで、32113XXではまだ小さいロゴである。なお、最後期のものは巻き上げスプールも変更されてREスーパーと同一になった。
 このカメラは、非常に乾いた感じのシャッター音が印象的であるが、これはREスーパーのようにTTL関係のパーツがなく、軍艦部内に空洞部分が多いためなのだろうか。それともCdSの貼り付けられていない軽量のミラーによるものなのだろうか。ただし、やはり後期型とそれまでのものとではシャッター音が異なり、後期型の方がかなり高い音がする。あくまで予想であるが、RSの最終ロットでは、内部のパーツがいよいよREスーパーの生産型と同一になり、それまでのいわば試作ものと同一の部品を使ったRSと異なる部品が一部使われているのではないだろうか。
 標準レンズはH-Fオートトプコール5.8cm F1.8。このレンズはRIIIまで使われたFオートトプコールとREオートトプコールの丁度中間的なレンズで、本来日立製作所の発注で作られたものらしい。多くのRSはREオートトプコールが取り付けられているようだが、実際にはどのような形で売られたのかははっきりしない。これも予想であるが、RSの生産が急遽決まって、当初はこのカメラに合う白鏡胴のH-Fオートトプコールを使ったものの、その後REスーパーが煮詰まってきてREオートトプコールに移行したものと考えられる。FオートトプコールとREオートトプコールは、TTL機構の追加により、絞りの回転方向が逆になっているが、H-Fオートトプコールは外観こそREオートのような白鏡胴が用いられているものの、TTL連動は不要だったので、Fオートと同じ方向に絞り込まれるようになっている。コーティングもアンバー主体のREと異なり、マゼンタやシアンが目立つものになっている。
This camera was launched in 1963 april. Topcon produced this model that omitted the TTL system hurriedly, because the completion of RE SUPER was delayed. Hereafter there is very little production number of units of this camera, because RE SUPER finished right away.

 

Topcon RE Super1st

トプコンREスーパー
初期型
TOPCON RE Super 1st model

 ご存知1963年デビューの、稀代の名機。世界初のTTL一眼レフであることはいまさら言うまでもないが、ただそればかりではなく、その時点で開放測光まで完成させている点が特筆すべき快挙と言えるだろう。ペンタックスが、ピントグラス面上にCdSの付いたアームを出し入れして測光するという、未完成品のスポットマチックをフォトキナで非公式に発表している間に、そのはるか上を行くスペックのカメラを開発していた東京光学の技術とひらめきには全く恐れ入る。
 標準レンズはREオートトプコール58mm F1.8とF1.4の二種。どちらも優れたレンズとして未だに人気の高いものであるが、大雑把に言うと、暖かい色合いで深い味わいのF1.4、クールな色合いでシャープネスを求めるならF1.8といった感がある。
 巻き上げ角度は180度で、とても滑らかである。巻き戻しクランクにはカラクリがあって、トルクがかかると自然に上にせり上がってくるようになっている。実はこれはロボット・ロイヤルが既に使っていた機構である(ロボットはクランクではなくダイアル式だが)。ファインダーは交換式で、当初からウェストレベルと高倍率ウェストレベルファインダーが用意されていた。ファインダースクリーンも当初から5種類用意されていて、後にこれが9種類に増える。
 モータードライブも無改造で装着可能である。当時モータドライブが使えるカメラはニコンFのみであったが、これはモータドライブを装着するために改造が必要であった。トプコンの場合、250長尺マガジンさえも何の問題もなくクリップオンで装着できた。
 ボディの基本的デザインはアメリカのベセラー社の方で選んだデザイナーの手による。何から何まで四角く、実にゴツイ印象であるが、意外に丸い部分が多く、ほどよくバランスがとれている。このモデルは初期型であるが、81年のスーパーDMの最終ラインまで、基本的なボディデザインは変わらない。
This is the excellent camera that remains to the history, and it was launched in 1963. This camera was completing the TTL system at the beginning of the world. The fundamental design of the body was depended on the designer that he was chosen on the side of the Beserer company of America. Although this model is early period style, fundamental body design does not change to the final line of the super DM in '81.

Topcon RE Super cut model Topcon RE Super cut model
 トプコンREスーパーのカットモデル。カメラショー向けに作られたのか、大手特約店の展示用として納められたのか、その出自は判然としないが、東京光学で制作されたものであるのは間違いない。カットしたことでバラバラになってしまうパーツがきっちり接着されているが、こうして見るとこの大柄なカメラの内部が、様々な細かいパーツでびっしり詰まっていることが分かる。

Topcon RE Super 2nd model

トプコンREスーパー
前期型
TOPCON RE Super 2nd model

 上記の初期型REスーパーはおよそ1万台程度生産された。REスーパーは72年初めまで丸10年作られたが、その総数は7万台にのぼる。これはベセラーDも含めた数字であり、さらにはU.S NAVY等に納入されたものも含む。それらの数を差し引いて、一般向けに売られたREスーパーネームのものはせいぜい3万台程度であり、意外と少ないものである。多くはアメリカに輸出されたので、国内で売られたものは非常に少ない訳で、かつて里帰りモノがあまりなかった時、このカメラがなかなか市場に現れなかったのも頷ける。それにしても、ここまで優れたシステムカメラを持ちながら、なぜ東京光学は販売に苦しんだのだろうか。このカメラが独特のデザインである以前に、当時の営業戦略の失敗が強く感じられる。
 初期のモデルとこの65年頃の前期モデルは、巻き戻しクランクの基部に付くアクセサリーシューのバヨネットの爪に絶縁用の白いプラスチックのパーツが上面に張り出しているのが特徴である。しかし、巻き上げレバーの軸の皿ネジが初期型ではカニ目回し用の穴が2つ開いているのに対し、この前期型ではそれがないのが見分けるポイントになる。標準レンズは初期型・前期型は後のものと異なり、ヘリコイドリングのゴムローレットの前後の淵が少し盛られたデザインになっていて、距離・絞り値を合わせる点が赤いのも早い時期のレンズの特徴である。

Topcon RE Super 3rd model

トプコンREスーパー
中期型
TOPCON RE Super 3rd model

 REスーパーは初めから完成されたモデルであったが、年を重ねながらわずかながら小変更が繰り返されていた。この中期モデルは現在中古市場で前期型と並んで最も多く見かけるもので、66・67年頃に生産されていたものになる。REスーパーの評価が高いものとして固まっていた頃のもので、高価ながら良く売れていた時期であった。前期型との違いは細かい内部パーツは別として、外観上では巻き戻しクランク基部のアクセサリーシューのバヨネットの爪の上部に、絶縁用のプラスチックパーツが張り出しておらず、すっきりした点が挙げられる。また、ファインダースクリーンも改善され、スプリットイメージの外側のマット面とフレネル面の段差がなくなり、かなり見やすいものになった。標準レンズの距離・絞り合わせ用の点も、前期型の途中より赤色から緑色のマークに変更されていた。

Topcon RE Super 4th model

トプコンREスーパー
後期型
TOPCON RE Super 4th model

 トプコンはシステムカメラのREスーパーと並行して、アマチュア向けとしてレンズシャッター式ながら世界初のTTL-EE一眼レフのUNIを64年に発売し、その翌年には中級機としてコパルスクェアSシャッターを使ったRE-2を発売し、フラッグシップのREスーパーを含めて見事に3段階のシステムの構築を完成させた。そうした堅調な頃にどんどんライバルメーカーがTTL一眼レフを安価に発売し始め、トプコンもマイナーチェンジを余儀なくされた。しかし、ボディを大幅に変更する余裕はなかったので、見た目を輸出用のモデルと揃えて多少派手にしただけにとどまった。この後期モデルは68年頃のモデルで、"RE SUPER"のロゴが軍艦部向かって左に移され、フォントも変更されている。シャッターボタンとセルフタイマーの付く台座の板も洗濯板状のものになったが、これはベセラー向けのものでは初めから使われていた。
 ミラーに刻まれたスリットのデザインはいくつかの異なるパターンがあり、作られた年代を問わず、そのカメラに使われたCdSの特性によってスリットのピッチを変えていた。ただし、ミラーのコーティングの色は時代によってかすかに変更され、初期のマゼンタ寄りの色から後期のものはシアン寄りの色になっている。
 このカメラは72年の国内向けスーパーDの登場までの数年間生産されたが、市場に出てくる数はさほど多くはない。やはりこの後の頃になると東京光学のカメラの売れ行きは芳しくはなくなっていたのかもしれない。
This is a minor change model of around 68. The letter of RE SUPER is moving to the left side. The part of the pedestal of the shutter button and self-timer lever were changed to the one that is the design of notches. It is intended to be in common with Beserer Topcon super D for America.

Topcon RE Super Leaflet
 初期のドイツ向けREスーパーのリーフレット。上記のRSと一緒に印刷された頃のもので、画像から分かる通り、プリズムカバーのロゴがRSと同じ板にプレスしたものを貼り付けたタイプが使われていて、シャッターボタンの上の軍艦部前面には外付けの露出計用の突起が見られる。F1.4レンズも試作のもので、先端のフード装着用のバヨネットになったリングがF1.8のものと同様のメッキされたものが付いている。字面には被写体の露出を自動で測る一眼レフカメラとしか書かれていないが、販売直前の広告に完成直前の試作品を画像に使ったもので興味深い。

Beseler Topcon Super D early model

ベセラー・トプコン
スーパーD
初期型
Beseler TOPCON Super D
early model

 ベセラー向けに作られたものはPRが「A」、Rが「B」、RIIとRIIIが「C」になったので、次に満を持して登場したREスーパーには「D」が充てられた。当時類を見ないTTL開放測光と言うハイスペックモデルだったので、そこに「Super」を加えた名が用いられた。それだけ期待も大きかっただろうし、また、その性能に充分な自信もあったのだろう。実際、当時これだけの性能のカメラを作れるメーカーは皆無で、「10年先を行くカメラ」とも評された。後日、あのキヤノンでさえもFTbを作って開放測光化するにあたり、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで」トプコンの開放測光TTLの特許を使った話は有名である。その後、ニコンですらマウントをAi化するにあたり、ニコンのGNレンズの特許と交換する形で、トプコンの特許を使うことになった。
 ロゴ以外に国内向けモデルと異なるのはシャッターボタンとセルフタイマーの台座の板が洗濯板状に横線の入ったものが使われていた程度で使い勝手も含めてほとんど変わりはない。
Beseler Topcon Super D middle model

ベセラー・トプコン
スーパーD
中期型
Beseler TOPCON Super D
middle model

 国内でのマイナーチェンジと同じように、ベセラー向けのモデルも小変更を繰り返していた。この中期型は巻き上げレバーの皿ネジにカニ目回し用の穴がなく、巻き戻しクランク基部のバヨネットの爪のプラスチック製絶縁パーツも上に張り出ていない。
 ペンタプリズムカバーのメインロゴが筆記体のBeselerと活字体のTOPCONとではあまり相性が良くないが、見慣れてくると別段気にならなくなるのは不思議なものである。
Beseler Topcon Super D later model

ベセラー・トプコン
スーパーD
後期型
Beseler TOPCON Super D
later model

 68年以降はベセラー向けのモデルも"SUPER D"のロゴが軍艦部向かって左前面に移動している。国内向けのRE SUPERのロゴは字体も変更されたが、こちらはただ位置が変わっただけで、横幅の広い左側に対して、いささか左右に短い感じに見えてしまう。これは個人的な見解であるが、スーパーDのロゴはちょっと大きい割に幅が狭いので、どうも間が抜けているような印象を受ける。やはり向かって右側の狭いところにある方がボディのスペースとのバランスは取れていると思う。REスーパーの後期型は横長のロゴを使っているので、スペース的に広い左側にあってもあまり違和感はない。
 その他では特別変化はないが、後期のものは巻き取りスプールのフィルム差し込み用の溝が多く刻まれており、フィルムの装填は楽になっている。
Hanimex Topcon RE Super

ハニメックス・トプコン
REスーパー
HANIMEX TOPCON RE SUPER

 トプコンは外国の写真商社向けにOEMモデルを供給していたが、意外と他社ブランドを用いることに抵抗はなかったようで、その点でニコンやキヤノンとは異なっていた。このハニメックスはオーストリアを拠点にして、ニュージーランドやイギリスで主に販売していた写真総合商社であるが、多くの日本のメーカーから供給を受けたカメラやレンズを自社銘柄にして販売していた。トプコンも60年代中盤にハニメックスと一時取引していて、ユニやRE-2ともども「ハニメックス・トプコン」として3機種を販売していた。時期的にREスーパーの中期モデルの頃だけに見られる。日本向けのモデルとはプリズムカバーのロゴのみの変更で、フィルム感度表示も主にイギリスで販売されたことから、ASA表示である。
 ハニメックス名のREスーパーは滅多に見かけない。私個人の経験からすると、トプコンRSより目にした台数は少ない。
These are export models which added the brand name of the Charles Beseler company in the United States in 1958. After TOPCON R=Beseler B and RII=Beseler C, this model was added "Super" name, and it became "Beseler Super D". Probably expectation was also so great and there was sufficient confidence for the performance. There was no maker that can make the camera of the performance beyond this those days, and these cameras were estimated as "the camera ten year after". The image of under is the RE Super of the Hanimex brand that was made for U.K. This seemed that was shipped around 1965. Other than this, the Topcon produced cameras of the Hanimex name of the RE-2 and the UNI. Even the model name is changed only "UNI" and it became "Hanimex Topcon RE Auto". By the way, I think that the Hanimex Topcon RE Super is least. Because I have not almost seen this camera.

Topcon RE Super Black finished

トプコンREスーパー
中期型ブラックボディ
TOPCON RE Super Black finished

 REスーパーのブラックボディは意外と多く、アメリカではそこそこ見られる。しかし、そこそこと言っても、あくまでも「トプコンREスーパーにしては」といったレベルで、ニコンやキャノンと比較したらお話にもならないだろう。さらに、国内ではあまり売られなかったようで、今になってブラックボディを探そうとしてもなかなか大変である。よく、海外のオークションやカメラショップに出品されるブラックボディは「US NAVY」仕様が多く見られ、かなり疲弊したものと認識した上で購入を考えられた方が良いだろう。期待していたのに、届いてみたらキズだらけ、ヘコミだらけ、おまけにメーターが死んでいた等ということも多いので、要注意である。
Topcon RE Super Black finished later model

トプコンREスーパー
後期型ブラックボディ
TOPCON RE Super Black finished later model

 後期型のブラックボディには実は二つのパターンのものがある。本来後期型のREスーパーは、シャッターボタン・セルフタイマーの台座のプレートが、それまでの輸出向けべセラートプコンスーパーDとの部品の共通化から、洗濯板状のものに改められたはずである。この写真がそのタイプで、これは何ら不思議なことではない。しかし、同じ後期型であるのに、シャッターボタンの台座が前期・中期型の国内向けREスーパーと同様の平坦なものを使用したものも存在する。中期から後期に移り変わる過渡期のものなのかと思いきや、私が確認したモデルのシリアル番号を見ると、そちらの方が後なのである。多分、生産数の少ない中期型黒ボディの余ったパーツを利用して、後になって順次組み上げていったものと思われる。いずれにしても、REスーパーも細かなバージョンの違いはまだまだ色々と出てきそうである。
Beseler Topcon Super D Black finished

ベセラー・トプコン
スーパーD
中期型ブラックボディ
Beseler TOPCON Super D
Black finished middle model

 ベセラー向けのブラックボディももちろん作られていた。現在見かけるものの多くはUS Navy向けのものが大多数を占め、荒く使われてボディがいたるところで凹んでしまったものだが、一般向けのものと中味は全く変わらない。このボディは中期型のものだが、面白いことに国内向けもベセラー向けも初期・前期のブラックボディはほとんど見かけない。ひょっとするとブラックボディのの供給は少しタイムラグがあった可能性がある。
なお、トプコンRもそうだったが、東京光学はブラックボディを作る際、徹底的に黒いパーツを使っていた。このカメラもシャッターボタン以外でクロームボディと共通のメッキが施された外装パーツは使われていない。
These are the black finished RE Super body & RE Auto Topcor 58mm f1.8 Lenses. All of the parts are finished blackly. This camera was not sold a lot in Japan. So it will be remaining a lot with America than Japan now. However, there are many things that those were embezzled with US NAVY.

Topcon RE Super trial product model  これは最初期の試作ボディで、現在トプコン本社に保管されているもの。『クラシックカメラ専科』9号の「トプコンREスーパーの誕生」でも紹介されているが、正面のTOPCONの字体も小文字で小さく彫られていた。その脇にBESELERとDの文字が刻まれている。これは明らかにベセラーB・Cのデザインの流れを汲むものであるが、これとは別に軍艦部右前にやはり少し字体の異なるRE Superの文字が見られる。
 この画像では確認し切れないが、このボディは巻き上げレバーの指掛けの部分が丸みを帯びていて、セルフタイマーもRIIIのものと同じように、後に正規に売られたREスーパーとは異なる。ただし、巻き上げクランク基部のアクセサリーシュー用のシンクロ接点は既に付いていた。RSでは付けられていなかったのに、より早期の試作品のこちらに設けられていたのは不思議である。
Topcon RE Super trial product model  この画像は69年頃の雑誌に掲載されていたもので、中期型から後期型にマイナーチェンジされる直前の試作モデルである。RE Superのロゴが向かって左に移動したのは同じだが、その字体が後期型とは異なっている。その他の変更点は、画像の上からでは確認できない。実際このモデルが作られたのは68年の前半で、これを踏まえて更に字体を変更させた後期型が実際に発売されたのは68年半ばから後半であったと思われる。
 それはともかく、この頃になると生産性の向上のため、内部の細かいパーツが多少変更されているが、機構自体に従来のモデルと変わりはない。レンズも58mm f1.8が枚数を一枚減らしたものが使われたらしいが、画質の低下が著しく、ユーザーの問い合わせを受けて直ぐに元に戻したそうである。
 さすがにこれらの試作ボディが市場に現れることはまずないだろう。

Topcon TTL system  開放測光の連動機構。丈夫な鎖とプーリー(滑車)を巧みに用いて仕上げられている。明るさの違うレンズも、レンズ側のマウント部に設置されたピンの位置をずらすことにより、レンズをボディに取り付けるために回転させる際に鎖を引っ張る量を調整して、開放値を知らず知らずボディへ伝達するという実に巧妙な手段で解決されているので、付け換える際に何も気にしないですむ。このアイデアは当然特許として認定され、後に大半のメーカーがこれを使用することになった。
Gearing system of TTL. It is finished skillfully and be used a tough chain and pulley. This idea is authorized as the patent and the maker of most has come to use this at the later time.

RE Super mirror  ミラーのスリットのデザインは基本的に共通であるが、先に述べた通り、そのカメラごとに使われているCdSの感光特性に応じてスリットの間隔が変更されている。大体上のタイプのものが多いようだが、中心部の菱形の部分が小さく、十字になった部分のスリット間隔の狭いものも良く見かける。下の写真は中心部が長方形になったもので、このタイプはあまり見かけない。それにしても、メーターの部分で調整する前に、CdSの部分でまずしっかり調整していたとは、本当に驚いてしまう。

 REスーパーの優れた点はこればかりではなく、そのシステムの充実ぶりについても特筆できる。単純にアクセサリー数だけを見てみるとニコンFには及ばないが、後から多くのアクセサリーが考案されたのではなく、初めから視野に入れてボディとともに設計されていた点で秀でている。例えばモータードライブを見てみると、1960年代の半ばではニコンFとREスーパーの他には装着できるモデルはなく、後から現れたミノルタSR-Mはモーター固定で、ペンタックスモータードライブSPは特殊用途のモデルとして扱われ、あまり世に出回らなかった。そこでニコンのものと比較してみると、REスーパーはただモータードライブを取り付けさえすればそのまま連続撮影ができるのに対し、ニコンFのものは改造が必要であった。さらに、250枚撮り用長尺マガジンの取り付けにおいても、REスーパーはモータードライブ上面のスペーサーを外すだけでそのまま使えたが、ニコンFの場合は36枚撮り専用・250枚撮り専用とモータードライブそのものが分けられていた。こうした点からも初めから幅広いアクセサリーを視野に入れて設計されたREスーパーの高性能ぶりがうかがえる。

The excellent point of RE super is not only this, and even the system is improving. When it compares only with the number of accessories, its do not reach Nikon F. However, many accessories were not devised later. These were thought from the beginning and was designed with the camera body, and it is excellent. For example, when half of the 1960's, there is not the model that is able to fix the motor drive to the others of Nikon F and RE super. If the user attach the motor drive to RE super, be able to shoot it right away. However, Nikon F needs maker adjustment.

 

Topcon Club

FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.1
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.3
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.4
FOCAL PLANE SHUTTER SLR No.5