TOPCON CLUB(トプコンクラブ)〜トプコンよもやま話9
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東京光学の一眼レフは当初から高級機と普及機のニ系統が設定されていて、高級機のトプコンR〜RIIIはファインダー交換が可能であった。しかし、スクリーンはスプリットイメージの入ったものが固定されており、これが交換できるようになったのは63年のトプコンRS/REスーパーからである。最初期のカタログには四つのスクリーンが紹介されていたが、65年には6つに増えている。73年に入ってスーパーDMの時代になるともう一つ加わって計7種類に増えている。実はこの頃のスクリーンにはNo.5とNo.7にそれぞれNo.5A/No.7Aとなったものが別に設けられ、暗いレンズに対応するタイプも作られたので、厳密に言うと計9種類のものが用意されていた。ここではこれらのスクリーンの数々をご紹介することにしよう。 |
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東京光学50年代に「トーコーブライト」と名付けられたピントグラスの製造法を確立し、特許として認められたが、その技術を生かしてこれらのスクリーンが作られた。これは60年代前半の当時は国産メーカーでも随一の技術であったが、徐々に各メーカーとも明るいファインダーを確立してきたため、60年代後半ではそれまでのマージンがなくなってしまった。ここでさらなる発展が望まれたのであるが、当時の東京光学はREスーパーという最も優れたカメラを作っていながら、新たなものを開発するゆとりがなくなるという矛盾に陥っていた。それでも何とか細かい改良を重ねて向上させようとしていたことは明らかで、このスクリーンを見比べてみても、初期のものに対して後期のものにははっきりとした改善の跡が見られる。このように当時東京光学は、出来得る範囲ではあったが、何とかシステムの向上を図っていたのである。 |