TOPCON CLUB(トプコンクラブ)〜トプコンよもやま話15

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 トプコンよもやま話15〜トプコンRシリーズの全て
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 東京光学は欧米列強との戦いが現実的になった1932年に国策企業として精工舎を母体として設立されたが、大戦終了後にはどの光学メーカーも同じように民需向け製品を生産することで、生き残りを図った。その光学製品の中での花形と言えばやはりカメラ。各メーカーとも競って優れたカメラを安価に作り、結果として日本の工学技術が世界に認められるきっかけとなった。その上で50年代は朝鮮戦争による特需で急速に日本の産業が息を吹き返した時期で、光学機器メーカーも主に米軍からの要請で、再び軍事目的の光学機器を生産して潤うようになっていた上、米国人の土産物として日本製カメラや双眼鏡が飛ぶように売れていた。そんな中、カメラの主流はシンプルな機構で手軽に作れて高い画質を得られた120フィルムを用いる二眼レフカメラで、国内にはAからZまでの銘柄があるとまで言われたほど、各メーカーがしのぎを削っていた。これに対し、ニコンやキヤノンは早くからライカ型の精密な35mmレンジファインダー機を作っており、その性能の高さが海外のカメラマンに認められて、この後ドイツと日本の光学メーカーの力が逆転して行くようになった。
 50年代半ば以降になると、カメラの主流が35mm判に急速に向かうようになり、その35mmでもファミリー向けにはレンズシャッター式のレンジファインダー機やオリンパス・ペンに代表されるハーフ判の手軽なゾーンフォーカス機等が売れ線になり、より高級志向なユーザーではそれまで主流だったフォーカルプレーン式レンジファインダー機から、ペンタプリズムを得た一眼レフ機に徐々に流れが移行しつつあった。国産初の35mm一眼レフは52年に旭光学が出したアサヒフレックスI型であるが、まだウェストレベルファインダーであったため、小さな35mm判のピントグラスでは使い勝手が今一歩で、これに追従するメーカーはほとんどなかった。しかし、54年にオリオン精機(ミランダ)が国産初になるペンタプリズム搭載機フェニックスを発表し、翌55年にこれを改善して製品化したミランダTを発売すると、折からの「ライカM3ショック」と呼ばれるレンジファインダー機の行き詰まりから、各メーカーの目は一眼レフに向かうようになり始めた。
 東京光学は元々スプリングカメラのミニヨンや二眼レフのプリモフレックス、レンズシャッター機の35AやB等を生産していて、35mmフォーカルプレーン機にはまだ手を伸ばしていなかったが、レンズは長らくレオタックス向けに供給していた関係で、いつでもフォーカルプレーン路線に踏み入ることはできた。しかし、ニコン・キヤノン・ミノルタ・レオタックス・ニッカ・タナックその他数多くのメーカーがひしめき合うその路線に踏み入ることなく傍観している時に、前述の一眼レフの流れができつつあった。ニコンやキヤノンは優れたレンジファインダー機を抱えていたため、後の一眼レフの波に乗り遅れる形になったが、トプコンは35mmフォーカルプレーン機を作っていなかったので、参入するなら初めから一眼レフと言う選択ができた。その結果、国産では3番目になるペンタプリズム搭載のフォーカルプレーン式一眼レフ、トプコンRを57年末に市場に送り出すことができた。ちなみに旭光学は同57年にアサヒ・ペンタックスを先に販売しており、これがペンタプリズムを搭載したクイックリターンミラーを備えた世界初のカメラとなっているが、トプコンRは全く異なった仕組みのクイックリターンミラーを独自に開発していた。こうして、トプコンの一眼レフが生まれたのだが、今回はこのRシリーズについて詳しく見ていきたいと思う。

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 トプコンRは東京光学機械k.k.(現、株式会社トプコン)から1957年に発売された、国産で3番目のペンタプリズム式一眼レフカメラである。先行するアサヒペンタックスAP・ミランダTと異なり、レンズ絞りがシャッターボタンと連動していた。これはレンズマウントに近いところのレバーを押し下げてシャッターを開放し、横に伸びたアームに付いた絞込みボタンがカメラのシャッターボタンの前に出ることで、ここを押して絞りがスプリングの力で絞り込まれた後にシャッターボタンが押し込まれるようになる、いわゆる半自動絞りである。絞りとシャッターのタイムラグは非常に少なく、かなり切れ味が鋭い感覚である。ただ、シャッターを切った後で絞り込まれたままになってファインダーが暗くなるのを嫌ったユーザーの声から、59年にはボタンを押すと徐々に絞り込まれ、離すと絞りが開くタイプの、いわゆるオートキノン型のレンズも作られた(輸出向け)。
 そのレンズだが、標準がAuto-Topcor 5.8cm f1.8で、絞込み(シャッター)ボタン周辺のリングが銀色になっている。この半自動絞りのAuto-Topcorレンズは、標準レンズとデザインが統一された3.5cm f2.8広角と10cm f2.8望遠が用意された(詳しくは後述)。
 トプコンRはとても手堅くしっかりした作りのカメラであるが、かなり大柄になっていので、後のオリンパスOM1やペンタックスME等のコンパクトな一眼レフを使っている人には、かなりドデカく感じるだろう。しかし、おかげでフォールディングは良好で、意外と手に馴染む上、シャッターボタンが前面にある前押し式なので、手ブレにも強い。
 ペンタプリズムファインダーは取り外し可能で、ウェストレベルファインダーも用意されていた。交換レンズも後述するが、Auto-Topcor以外は皆手動のプリセット絞りになり、R Topcor 9cm・13.5cm・20cm・30cmが当初からラインアップされていた。特に13.5cmと30cmには、平均的な明るさのものと、大口径の高速レンズが用意されたが、この13.5cm f2と世界初の“サンニッパ”30cm f2.8は、後の東京オリンピックでの公式記録用レンズとして採用された。ニコンがサンニッパを作ったのは77年なので、いかにトプコンの光学技術が優れていたかを示す、一つのバロメーターのようなレンズだった。
 トプコンが一眼レフカメラを作成するにあたって参考にしたのがドイツ製のカメラで、旭光学がM42プラクチカマウントを採用していたことから、同じく当時のユニバーサルマウントであったエキザクタマウントを採用したが、これは口径が小さくて、レンズの開発にはマイナスであった。まだ一眼レフカメラの黎明期ゆえにこれでも問題はなかったが、60年代に入って急ピッチで新機構が盛り込まれて高性能になっていくに従い、その脆弱性があらわになってしまった。
 マウントはエキザクタを採用したが、カメラデザインはエディクサ・レフレックスを範にしているのは明らかである。ニコンはレンジファインダーでコンタックスをコピーしたようなカメラを作り、キヤノンもライカコピー機から始まる。当時の国産メーカーはまだまだドイツのものを大いに参考にしていたことは間違いなく、当初はコピーであっても、そこへ次々に独自性を盛り込んでどんどん発展させていき、60年代の日本性カメラは完全にコピーから脱却していた。トプコンRもマウントやデザインこそドイツ製品の影響を受けているが、機構的には既にドイツを超えた独自のシステムを完成させていた。

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 58年に入るとトプコンRは輸出が開始されたが、最も重要な輸出先であるアメリカ向けには現地ディーラーのチャールズ・べセラー商会と契約しており、そこから全米の販売網に送り込まれた。その際、ベセラーの影響力が強かったために、カメラ名に「BESELER」の名が刻み込まれた。モデル名も「R」から「B」に変更されたが、これはほぼ同じ頃作られていたレンズシャッター式一眼レフのトプコンPRIIを「ベセラー・トプコンA」としたことに拠る。ただし、PRIIの軍艦部にBeselerの刻印を入れた個体はなく、ただ元箱にBeseler TOPCON Aとだけ記されていた。
 このべセラーBも、国内向けのトプコンRとエプロン部の刻印以外、何ら変わりはない。

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 トプコンRはその堅実で丈夫な作りから、警視庁の公式カメラにも採用された。その際、極少数ながらブラックボディも作られたが、かなり細かいところまで黒く仕上げられたパーツが使われていた。具体的には巻き上げレバーやフィルムカウンター周りのリングパーツ、巻き戻しクランク基部のフィルムインジケーター下のアクセサリーシュー固定のリング、ファインダ着脱ボタン、標準レンズのボタン周りの受け皿、鏡胴先端部等、とにかくあらゆるところを黒く仕上げている。とは言え、カメラとしてのスペック自体は一般向けのクロームメッキのものと何ら変わりがない。

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 60年になると、各社ともにペンタプリズム式一眼レフを揃えるようになり、絞り形式も完全自動絞り化が普及しつつあった。有名なものは幻のカメラとしても知られるZunowが完全自動絞りを達成したが、機構的に脆く、他のメーカーは独自の方式で完全自動絞り機構を築き上げた。トプコンも独自の機構を構築し、一部のメーカーもこれを用いた。その完全自動絞り機構を盛り込んだのがこのオートマチック・トプコンRで、通称トプコンRIIと呼ばれている。絞り機構の変更に伴い、レンズもF.Auto-Topcorとなって、以降ずっと基本的に同じものがREオートトプコールとして、REGNトプコール50mmを備えたスーパーDMが登場する73年まで販売されることになった。
 Fオートトプコールは前のオートトプコールのように、3.5cm・10cmと5.8cmとの間で全長を揃えることはせず、標準レンズは普通にコンパクトである。
 このFオートトプコールレンズにはヘリコイドリングに滑り止めのゴムローレットが巻かれている。一見何の変哲もないもので、後にどのメーカーも行なっていたものだが、実はこれはトプコンが世界で初めて採用した工夫である。
 マウント部には後々のことを考えて、絞り値をカメラ側に伝えるためのピンを既に設けていたのも特筆に価する。これは後に世界初のTTL一眼レフであるトプコンREスーパーが生まれた際、初めから開放測光を実現させるのに大いに役立ったが、絞りの進行方向はREスーパーではTTLの機構上どうしても逆になったため、東京光学ではFオートトプコールをREマウントで問題なく使えるよう、有償でリング周辺の改造を受け付けていた。。
 他にトプコンRIIにはセルフタイマーが内蔵され、向かって右側には絞り込みレバーも設けられた。しかし、販売価格は5.7万円と高価だったトプコンRに対し、大幅に機能がアップしたにもかかわらずRIIの価格はは4.8万円に下げられたが、これは59年からニコンFやキヤノンフレックスが一眼レフ市場に参入し、なおかつ、ペンタックスやヤシカ、ペトリペンタ等の安価なモデルに対して売り上げの点で苦しかったことを如実に表している。

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 トプコンRIIにもアメリカ向けのべセラー・トプコン銘柄のものが作られていた。その名も「C」。味も素っ気もないネーミングであるが、中心部に丸く「C」の字が大きく刻まれているので、何やら見た目に唐傘お化けか一つ目小僧みたいでおかしい。
 実はベセラー・トプコンCには画像のようにペンタプリズムカバーには「Automatic」の文字は刻まれておらず、従来のものと同じものが使われているが、面白いことに後述するRIIIになってもベセラー向けには「C」の記号があてがわれ、そのRIIIタイプのベセラーCには「Automatic」の刻印のあるプリズムカバーが用いられていた。
 なお、機構的にRIIとこのベセラーCとの間に変更点は見られない。

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 61年になると、セレン光式露出計を着脱できる、トプコンRIIIが発売された。これはシャッターダイアルと露出計を噛み合わせて連動させるもので、シャッターを決定したら、露出計上面の針の指す位置の絞り値を読み取って、レンズの絞りを回すものになる。この露出計のために、シャッターダイアルは一軸不回転式に改められた(RIIまでは高速・低速二段の回転式)。それ以外では従来のものと変わりはない。また、アメリカ向けも名前は「BESELER TOPCON C」のままであった。
 トプコンはこの時世界初のTTL一眼レフ、REスーパーを開発中で、このRIIIはあくまでも過渡期的なモデルだったので、販売台数はほとんど伸びないまま生産を終了したため、現在ではあまり中古市場に出てこない。
 トプコンR用のAuto-Topcor/R Topcorレンズは、9cm f3.5、13.5cm f2、20cm f4、30cm f2.8以外は、この後レンズの基本設計はそのままに皆完全自動絞り化され、REオートトプコールとして63年から76〜77年のRE Topcor Nシリーズが登場するまで生産され、その後も81年まで販売されていた。トプコンが採用したエキザクタマウントであるが、トプコンRの時代はあまり問題はなかったものの、60年代半ばに入ると口径が小さ過ぎる弊害が出て、新たな大口径レンズの設計を困難にしていた。RからREスーパーに切り替える際に、マウントも一新させるべきだったのだろうが、東京光学ではそれまでの顧客を大切にして、REマウントになっても基本はエキザクタマウントから離れなかったのが結果として大きな足かせになってしまった。

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Auto-Topcor 5.8cm F1.8
Auto-Topcor φ 5.8cm F1.8

 トプコンRのマウントはシンプルなエキザクタマウントで、自動絞りを実現するにあたって、レンズとボディとの連携が必要になったが、マウント内にはこれが設けられず、当時のエキザクタと同じくシャッターボタンを前面に設けて、レンズの絞込みボタンをマウント部からアームで伸ばして出して、カメラのシャッターボタンの前に置くことで、ここを押して絞り込まれたら、続けてカメラ側のシャッターボタンも押される仕組みを採った。
 絞りは左のレンズにあるようにレバーであらかじめ開放にしておいて、絞り込むスプリングの張力をチャージしておくようになっている。そのため、絞込み/シャッターボタンを押すと絞りは勢い良く閉じるのだが、そのまま絞り込まれたままになるので、ファインダーは暗くなってしまう。自動プリセット絞りだからこそ「オートトプコール」なのだが、これはあくまで絞り込まれるまでの「自動」であって、絞りを開放するのは手動だから、後の完全自動絞りとの混乱を避けるため、セミ・オートマチックとか半自動絞りと呼ばれる。
 オートトプコールはこのように撮った後にファインダーが暗くなってしまうので、これを嫌って絞込みボタンを押して行くに従って絞りが閉じて行き、ボタンから指を離すに従って絞りも開放に戻るタイプのものも59年に作られた。このいわゆる「オート・キノン」型の絞り機構は、シャッターが切れるギリギリまで開放を維持し、シャッターが作動する直前に絞り込まれる従来のタイプと異なり、かなり手前から画面が暗くなり始めるが、反面、撮影後には何もしなくても指さえ離せば開放に戻る利点がある。つまり、絞りを開放にしてスプリングをチャージする動作が不要になったが、瞬間的な絞込みはできなくなって、一長一短であった。トプコンではこの後者のタイプをオートトプコールφと言う名でシリーズ化して輸出専用で販売したが、半年もすると完全自動絞りのFオートトプコールになったので、非常に流通量が少ない。
 これらを使い分けてみると、従来のモデルは絞込み/シャッターボタンが軽やかで、ボタンの突出量も多くないので、シャッターボタンの前にこれがあっても、あまり問題なく指を掛けることができる。それに対し、オートトプコールφは、ボタンを押す際、常に開放にして引っ張っているスプリングに抗して絞り込ませる力を掛ける必要があるため、結構重たく感じる。その上、ボタンの受け皿のカバーが深くなっていて、マウント側からのアームの厚みも従来のものより大分厚くなっちるので、カメラのシャッターボタンの前にこれがあると、相当ボタンの位置が飛び出ていて、カメラを構えていても何か違和感のある位置に出っ張っている。やはりチャージレバーの付いた従来のタイプが使いよいだろう。

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Auto-Topcor 3.5cm F2.8
Auto-Topcor φ 3.5cm F2.8

 東京光学はトプコンRとともに、常用レンズの35mmと100mmレンズを同時にオートトプコールとして半自動絞り化して発売した。この3.5cmは5.8cmや10cmと見分けやすいように絞込み/シャッターボタンの受け皿のカバーをエメラルドグリーンに仕上げている。やはり5.8cmレンズと同様にオートキノン型の「オートトプコールφ」も作られたが、レンズの構成自体には何ら変更点はない。
 このオートトプコール3.5cmは、実は国産では初めてのレトロフォーカス式の広角レンズで、大変画期的なレンズである。それまでの一眼レフでの広角レンズはフランジバックが短くなるためにミラーアップして使わざるを得ず、一眼レフとしての機能は全く意味を成さないものだった。しかし、逆望遠的なレトロフォーカス設計のレンズではフランジバックが大きく取れるので、他のレンズと同じ普通にミラーをクイックリターンさせて、ペンタプリズムファインダーで常時像を確認することができるようになった。今では当たり前過ぎて全く意識していないことが、当時は大変画期的な技術でやっと達成されていた訳である。

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Auto-Topcor 3.5cm F2.8
Auto-Topcor φ 3.5cm F2.8

 オートトプコールは形だけでなく長さもほぼ同じに揃えていて、結果として標準の5.8cmは妙に前部を張り出させていて、奥まったところに前玉が収まっていた。これに対し10cmレンズは普通に焦点距離に相当した筒の長さではあるが、黒いヘリコイドリングに対し、鏡胴先端のリングの色がアルミ削り出しの色なので、ここが5.8cmより長くなっていても違和感があまりない。3.5cmはレトロフォーカスなので、10cmとほぼ同じ長さになっている。
 ボタン周りをエメラルドグリーンに仕上げた3.5cmに対し、10cmではシャンパンゴールドに仕上げていて、ここで一目でどのレンズなのか見分けるようになっている。何しろ開放絞りもf2.8で共通なので、レンズキャップをしているとどちらが広角なのか望遠なのかさっぱり分からなくなるが、標準の5.8cmも含めてできるだけ形や大きさを揃えていたのは面白い試みである。
 撮影前に一旦絞り込んで被写界深度を確認する場合、このようなレンズ側のアームに付いた絞込みボタンを直接カメラ側のシャッターボタンをつなげるタイプの機構では、マウント内で絞込みのための連携機構がないため、ボディ側に絞込みボタンが設けられず、レンズ側に設けざるを得なくなる。このシリーズのレンズは、従来のオートトプコールではボタンの横の小さな円形のノブを横にスライドさせれば、ボタンを押さなくても絞り込まれたままになる。オートトプコールφではアームの側面に出たレバーを外側に倒すと絞り込まれるようになっている。

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R Topcor 9cm F3.5
R Topcor 13.5cm F3.5

 57年にトプコンRをデビューさせた東京光学では、同時に上記オートトプコールシリーズの他にはRトプコール13.5cm F2と同30cm F2.8と言う当時としては驚異的な高速レンズをカタログに載せていたが、一般のユーザーが普通に購入できるF3.5クラスの望遠レンズが当初は用意されていなかった。しかし、Lマウントのトプコールで9cm F3.5と13.5cm F3.5を以前から作っていたので、これらをエキザクタマウント化するのはフランジバックの長い望遠レンズでは簡単なことであった。したがって、間もなくこれらのレンズもラインナップに加えられたが、レンズ構成はLマウントのものと全く同じである。レンズコーティングはLマントが両方とも淡いマゼンタなのに対し、Rトプコールは9cmが淡いマゼンタに淡いシアンが、13.5cmはしっかりしたシアンの淡色になっている。
 絞りは手動のプリセット絞りで、絞りリングが2段構造になっていて、外側のリングをマウント側に引いて回転させ任意の絞り値のところに合わせ、一旦絞りリング全体を回して開放にさせておき、シャッターを押す前にこのリングを右に回せば、任意の絞り位置までしか回転しないようになっている。
 絞り羽根の枚数は後の完全自動絞りのように軽い力で開閉させる必要がないので、Lマウントのものと同じく9cmレンズが8枚羽根、13.5cmレンズでは12枚羽根が用いられていて、絞り込むと円形に近くなって美しいボケを見せる。両方とも設計に無理がないのか、大変シャープで階調豊かな描写になる。カラーネガでは色の再現性は若干弱めで、鮮明な色コントラストは望めない。

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R Topcor 20cm F4
R Topcor 30cm F5.6

 こちらの2本もプリセット絞りのRトプコールで、少し後になってカタログに加わった。これらのレンズはトプコンR末期かRIIの頃のレンズになるが、Rのいくつかのカタログにはどれも載っておらず、RIIのカタログには両方とも初めからラインナップされていた。59年の途中になってようやく完成したものとみられる。これらは光学系から新たに設計したものだが、先にどう言う訳か特殊用途と言ってもおかしくない13.5cm F2や30cm F2.8を設計して最初のカタログに載せていたように、順番があべこべになっていた。結果としてこの一般向けのレンズの完成が遅れたのだろう。
 Rトプコール20cmはテレゾナー型の構成で、面白いことに後にREオートトプコールになることなく、このレンズで消えてしまうことになった。REスーパーの頃にもカタログには出ていたが、最後まで自動絞りにはならなかった。その絞りは12枚羽根で絞り込んだ際のボケも大変きれいで、以前トプコールの200mmレンズ(ズームも含む)全てを比較テストしてみたが、その中で最も良い結果になった(こちらを参照)。
 片や30cm F5.6は先に登場した30cm F2.8があまりにも大きなレンズだったせいか、かなり地味な存在であったが、こちらは長らく販売されていた。と言うのも、トプコンではこれも変な話だが望遠レンズはずっと300mmまでしか作っておらず、REスーパーの後期になってやっと500mmを送り出したが、300mmの方はRトプコールのままプリセット絞りのF2.8とF5.6をずっと併売していた。スーパーDの頃になってようやく85mm F1.8とともにREオートトプコール300mm F5.6が登場したが、それまでずっとこの手動プリセット絞りのRトプコールが売られていた。レンズ構成は平凡な4群4枚のテレタイプ。実際に使ってみると細身で携行性は良いのだが、サンニッパと比べると描写は甘く感じられた。このレンズとサンニッパだけフードは引き出し式であるが、20cmと13.5cm F2はねじ込み式、3.5cm〜13.5cm F3.5は鏡胴先の溝にフード側の爪を落とし込むワンタッチ式(
こちらを参照)。

 57年のトプコンR以来、東京光学はレンズシャッター式一眼レフのシリーズにも力を傾けつつ、世界初のTTL一眼レフでありながら、初めから開放測光を達成した名機トプコンREスーパーの開発に力を向けていた。この時期は一眼レフカメラの進化が特に著しい時期で、トプコンRが2年も経たずに古臭いものになってしまい、これをベースにして発展させたRIIでもシェアの回復は難しく、RIIIに至っては過渡期のお茶濁し的な存在にしかなれなかった。レンズシャッター機は当初レンズ交換のできないものばかりだったが、格安だったために販売は伸びたものの、他社との競合も激しく、東京光学では矢継ぎ早に日本初・世界初の機構を盛り込んだ新型を投入せざるを得ず、レンズの開発が何か追い付かなかったような印象がある。もちろん東光には測量機や医療関連、顕微鏡や双眼鏡など、カメラ以外の部門も数多くあったので、カメラ部門は限られた人員の中での開発になるため、その点で優秀なスタッフを有していても、あれもこれも手広く一気にと言う訳にはいかなかったのだろう。また、販売にはかなり慎重で、例えばトプコンRのカタログには巨大な反射望遠レンズのレフレクタートプコール1000mm F5.6(!)も載っていたのに、せっかく完成させておきながら市場に出さずにお蔵入りさせてしまった。トプコンユーザーからすればそうした高価になるであろうレンズなど購入できる(それ以前に対象外か)層は限られてしまうものの、やはり形だけでも販売して欲しかったと思う。

※ Rトプコール13.5cm F2と同30cm F2.8については近日Test Reportのページに加える予定です!

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