レオタックスとは、1939年に昭和光学として設立されたメーカーのカメラブランドであり、後に社名にも使われるようになった名である。昭和光学は戦前からセミレオタックスという優れたスプリングカメラを作っており、ライカ型カメラも同時に作っていた。最初のモデルは距離計のない「レオタックス」、次にビューファインダーを無理に向かって距離計の右側に置いてライカの特許を避けた「スペシャルA」、更にそれにスローシャッターを加えた「スペシャルB」など、ユニークなカメラを作っていた。レンズはレタナー・アナスチグマット5cm f3.5というエルマー型のレンズを装着していたが、終戦直後、残った部品で組み立てられたモデルには東京光学製のステート5cm f3.5が取り付けられていた。戦後になると完全なライカコピーになり、スペシャルD II(スローなし)・スペシャルD III(スロー付き)・D IV(スペシャルD IIIの距離計倍率を1.5倍にしたもの)・S(D IVにシンクロを加えたもの)を発売していた。レンズはここからシムラー5cm f3.5が使われ、D IVの頃からシムラー5cm f1.5が供給されるようになった。
レオタックスのカメラが大きく変化するのは54年のF型からである。ボディがダイキャスト化され、1/1000秒のシャッターが追加された。ほぼ同時に出たT型には1/1000秒は省かれていた。更に、廉価版のK型も発売され、これにはスローシャッターも省かれた。つまり、高級機のF・中級機のT・普及機のKという流れで、以降この流れは続いて行く。丁度これらF・T・K型が発売されていた55年に、社名が昭和光学からレオタックスカメラに変更され、東京光学のレンズもシムラーからトプコールに変更されている。なお、54年のF型に付けられていたシムラー5cm f1.5は、D IV型に付けられていたものとは鏡胴のデザインが異なる。
この後、FはFVに、TはT2・T2L・エリートとTV・TV2・メリットに、KはK3に進んで行く。中級機のT型がニ系統に分かれているのが興味深いが、普及機のK3はレバー巻上げにはならなかったので、後期はFV・メリット・エリートという三段階に落ち着いたようだ。ちなみに形式名のLはレバー巻上げ、Vはセルフタイマー内蔵を示す。ただし、FVは1/1000秒シャッターも含め、全機能が収められている。K3はわずかに1/8と1/15秒のスローが加わっただけであるが、この頃のボディにはどれもブライトフレーム入りのファインダーが使われ、巻上げダイアルに付いていたフィルムのコマ標示も軍艦部の下に潜ったデザインになっていた。この点から見ると、K3はT2とほとんど同じで、T2からスローがいくつか省かれたモデルがK3であったと言える。
レオタックスのカメラはどれもとても手堅く作られており、その信頼感は国産ライカコピー機の中でもトップクラスにランクされる。レンズも評価の高かったシムラー・トプコールを中心に、小西六のヘキサーや富士のフジノン、更には帝国光学のズノーも標準レンズとして販売していた。ただし、ニッコールやキャノンと異なり、その他の焦点距離のレンズがそう多くないのが残念なところである。ライカもM3を発表して国産大手メーカーが一眼レフ路線に鞍替えしつつある時期に、レンジファインダーにしがみついて失敗したような印象を受けるが、実は倒産後に発売された有名なG型とは別に、一眼レフの「レオフレックス」というモデルも準備されていたらしい。この辺りの事情は故白井達夫氏著『幻のカメラを追って』(朝日ソノラマ)に詳しく述べられている(カメラレヴュー誌の連載記事をまとめたもの。レオタックスの号はNo.4)。今やレオタックスはなく、東京光学もカメラから撤退して久しいが、こうした堅実なメーカーがカメラ業界から消えていった歴史は、デジタル化の進む現代で繰り返されていくような気がする。 |