林道ツーリング〜御嶽山方面
95年7月28〜30日、2泊3日のロングツーリングに出かけた。目的地は御嶽山。高速を使わずに350km先の林道に向かうのはいささか面倒なことであるが、往路は楽しさでいっぱいなので何てことはない。今回はF田氏、M口さん、ワテの他に、初の泊り込みツーリングにチャレンジするSハラと、富士見町の国道20号沿いで待ち合わせて合流した長野市在住のハスラーさんの5人構成である。 Sハラの遅刻で少々飛ばし気味に富士見町に向かったが、何とかさほど遅れることなく合流できた。 |
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再び国道を進み、茅野で国道から離れて諏訪湖の南を走って有賀峠を抜けて辰野に出て、次に国道153号を北上した後、小野で左折して牛首峠を抜ける。非常に狭い道であったが、前を走るトラックはさっぱり道を譲る気配がない。仕方なく排気ガスに覆われつつ、しばらく走り続けた。この道はまだダートがわずかに残されており、ただの抜け道以上のものがある。 国道19号に抜けて木祖村から県道に入り、野麦街道を行く。途中月夜沢林道を下って開田高原で宿を取る予定だ。この写真は月夜沢林道の半ばでのショット。既にかなり走っているが、全員疲れはない。道も以前に比べ荒れていなかった。 |
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開田で2日間宿を取って、間の29日に徹底的に走り回る予定だったので、当日は早起きして7時には王滝村を目指して走っていた。 ワテはここを89年に走った経験があるが、それ以来であった。当時は御岳林道の濁川の周辺には木々が全くなく、不気味な印象を持ったものだが、今回訪れてみると緑もしっかり見られる。もう一つ、濁川に至る前に、以前は左右に分かれる道があり、どっちに進めば良いのやら分からず、両方走った記憶があったが、今回は知らぬ間に濁川の所に出てしまった。 それまでの閉鎖されたような景色から突然開放されて、目の前に雄大な御嶽山の姿が広がる様子は筆舌に尽くしがたいものがある。 |
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この日は天気も味方してくれて快晴であった。すぐ後ろに見える隆起したような丘は、ずっと後ろの山の断面に繋がっていたものが大地震の際に崩れて流れ出したもののようだ。以前は全てが真っ茶色の、火山灰のような印象の土が剥き出しになっており、この世のものとは思えないような風景であったが、しばらくして見ると随分印象が変わったものである。 下の右側の写真が89年当時の濁川。コンクリートの橋で、真中に三つの太いパイプが通っているだけであるが、土砂が崩れて流れやすい所では、一般的な橋を架けてもすぐに崩れてしまうのだろう。こういう橋の場合、早々に流れてきた岩が穴を塞ぎ、水は橋の上を流れる仕組みである。実際に新潟と山形の県境付近の山道で大雨に見舞われて橋が渡れなくなった経験がある。 それはともかく、モノクロなので見づらいかもしれないが、緑が一本もないことはお分かり頂けるであろう。 |
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御岳林道を抜けて次は真弓峠に向かう。しかし、うっかりしていたらそのまま白巣峠まで来てしまった。やはり以前とはさっぱり感覚が違うので、どうも良く分からない。前は左に見落としそうな分岐があって、木の小さな柵が取り付けられており、開いたままになっていたような記憶がある。さすがに変更されてはいるだろうが、何となしにここまで来てしまった。 ここで枝道に入るが、一番後ろでSハラはM口さんのKDX125に乗って走っている。しかし、待っていてもなかなか現れない。どうしたのかと思っているとコケて崖から落ちそうになったと言う。ちょっとどっきりしたハプニングであった。 |
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ひいひい言いながらやっとこさゲートだらけの高樽林道を越えて渡合温泉の方に出る。90年にはゲートなど皆無だったのだが…。 付知に向かう途中で滝を見学しつつ一休み。それにしても、ここの道は観光客が良く通るのに、未だに舗装していないのはなぜなんだろう。車のタイヤの踏み固められた、カチンコチンの赤土のダートである。 入口に近い茶屋で一服した後、次はいよいよ鞍掛峠を目指して国道257号を加子母村方面に進む。途中国道から離れ、山の入口付近を国道と平行して走る裏道を行くが、ここでF田氏のIT200のチェーンが外れてしまう。しかし、用意がいいのか、スペアのコマを持っていたので、問題なく林道の入口に辿り着くことができた。 |
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しばらくダートの登りを走っていたが、突如道を塞ぐどでかい岩の固まりに出くわす。見ると何とか横を抜けられそうだったので、そのまま峠を抜けた。 平坦な道に出ると目の前に三浦貯水池が広がり、とてもいい気分で走れる。しかし、あまりのんびりはしていられない。そろそろ夕方にさしかかってきており、早いところ林道を抜けて開田高原まで帰らなければならない。それにしてもこの道は複雑で、分岐が多くて何が何だか分からない。とにかく貯水池から離れないように、右、右とコースを取るが、地図に載っていない所も多い。少々さまよいながら走っていたら、営林署の人らしき車が横を通っていった。これだと思いその道を行くと、簡易ゲートに鍵を掛けられていた。 |
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まあ、色々あったがつつがなく開田の宿に戻ることのできた我々は、翌30日には横浜に帰りつつ、いくつかの林道を走ることになった。 帰路はまず地蔵峠を越えて木曽福島に出て国道19号を北上し、奈良井から権兵衛街道をくねくね走って伊那に抜け、高遠から町道高嶺線を通って入笠山に出る作戦である。 この写真は権兵衛峠で撮ったもの。本来大パノラマが楽しめるはずだが、湿気のため霞んでいてはっきりと見えないのが残念だった。この道も既に完全舗装されていた。 |
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次に、再び町道高嶺線を訪れたが、以前と全く変わらない様子を見せてくれた。こちらに来た時はもう絶対に外せない林道になってしまった。 颯爽とIT200を走らせるF田氏。前ではM口&ハスラーさんの二人でバトルを楽しんでいる模様。初心者のSハラの面倒は私が見ることにして、F田氏にも走りを楽しんでもらうことにした。 途中、木陰で休み、コンビニで買い置きしておいた昼食をとる。本当に憩いのひとときとはこういうことを言うのだろう。おかげで、少々長居してしまった。 |
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突然現れたぬかるみにそ〜っと走るSハラ。考えてみると、二度目の林道ツーリングが1000qの道のりであり、ダートの長さも200qを級であるということは、考えてみるとスゴイことである。しかも50ccのバイクで。途中何回かコケてジーパンを3つともダメにしたが、最後までやり通した根性は見上げたものだ。自分が二度目のツーリングにハードな御岳山周辺を勧められたとしても、おそらく行かなかっただろう。せいぜい県内の林道でお茶を濁していたに違いない。 | |
甲州街道沿いの土産売り場にて。この前にハスラーさんと別れ、雨乞尾白川林道を走ってきたが、残されたダートはほんのわずかであった。しかし、後日ここでも新たな発見をすることになった…。 この写真で見る限り、F田氏は笑っているが、実のところものすごく疲れていた。さすがにかなりの距離を一般道で走り続けるのは苦しいのであるが、帰り道となるとそれまでの蓄積された疲れがドッと出るのだろう。しかし、終わってみると、一生頭に残るかけがえのない大切な思い出になることもまた事実である。 色々なハプニングがあったが、最高の林道ツーリングであったことは確かだった。 |