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Kiev II



種類 : II
発売年:1947年
メーカー:
サイズ: x x mm (with lens)
重量: g(Body)- g(Lens)
シャッター: 金属幕縦走りFocalplane type B(z)-1 to 1/1250s.
ファインダー: 二重像合致一眼式
標準レンズ:  50mm f1.5
レンズマウント: コンタックス・バヨネットマウント
分類番号: グループ1c

 キエフは唯一無二のコンタックスタイプのカメラで、ドイツ、ドレスデンのカール・ツァイス・イェナで戦時賠償のため生産されたコンタックスにその祖を求めることが出来る。キエフのコンタックスタイプは、カール・ツァイス・イェナでコンタックスとともに1947年10月から製造が始まり、製造ラインがアーセナル工廠に移送された後40年間に渡り製造され、6種のバリエーションに進化、変態を遂げて1987年に生産終了した。
【歴史】

 単純にコンタックスコピーと一言でかたづけられてしまっていたが、キエフは生い立ちが複雑である、その複雑さに加えて情報の少ない旧ソビエト製なことも手伝って本当の姿はなかなか現れてこなかった。しかし、近年はコレクターが増え、研究も進み、今までの常識は過去のもとなりつつある。
 キエフはコピーコンタックスというよりも、カール・ツァイス・イェナの製造ラインで生産されたコンタックスそのものであり、赤軍に収奪されてキエフに移されたのではなく合法的な戦時賠償のひとつの結果であった、というのがキエフについての最近の認識だ。活発な研究家によって、当時カール・ツァイス・イェナのラインをソ連で稼働させたエンジニアのインタビューも録られており、キエフの発掘は最終段階へ入ろうとしている、いちキエフファンとして、もっとキエフの面白さが知られるようになるのを願ってやまない。

【はじまり】
 カール・ツァイス・イェナのあったドレスデンは第二次世界大戦末期に大空爆で壊滅し、ソ連占領地区となった。しかし、ドレスデン無差別爆撃の悲惨さも、同じく壊滅的に破壊されたウクライナを通ってきた赤軍兵にとっては特別な光景ではなかったかも知れない。
 戦後処理が始まるとすぐに、ソ連の要求により戦時賠償用カメラを多数製造したカール・ツァイス・イェナだったが、カメラばかりか、なんと製造設備までもが要求された。結果、ドレスデンのカール・ツァイス・イェナ工場全体から見れば極一部とはいえ、三つのコンタックス製造ラインが戦時賠償の一環として本国へと移送されたのである。このことによりライカと人気を二分した名機、コンタックスをソ連で生産するという一大プロジェクトはスタートしたのである。

 レンズ製造ラインがモスクワ近郊のKMZへ、カメラ製造ラインがウクライナ、キエフ市アーセナル工廠へ移送され、生産ラインのトレーナーとして人も送られた。イエナで製造されていたコンタックスとツァイスレンズは順次ソ連製に完全転換されていったのである。
 このアーセナル工廠とは18世紀に始まる歴史のある大砲製造工場で、ソ連時代は農器具製造工場として機能していた非常に歴史ある工場である。もちろん現代でも経営は続いており、ハッセルブラッドタイプやペンタコンシックスタイプ、ミノックス35タイプは今も人気があるラインナップで、他にはニコンマウントを採用したSLRシリーズなど多彩なカメラを製造している。
 アーセナル工廠は情報の開示がほとんど無く、KMZのようにゼニットやゾルキーのような生産台数やバリエーションなどのメーカー資料は一切表に出ていない謎に包まれたメーカーである。

【キエフの最初のタイプ】
 1947年から1949年ないしは1952年までのキエフにはコンタックスのパーツがそのま組み込まれ、徐々にソ連製へ変態していく。キエフはコンタックスのネーミングに準じてキエフII、キエフIIIと呼ばれ電気露光計付きのタイプは1949年にキエフIIIとして登場した。ただし、最も初期のキエフはイエナでコンッタクスと同じに製造されていた。
 ここでは1949年製を紹介する。なにしろ初期のキエフは世界中のコンタックス/ニコン・コレクターに収蔵され尽くしており、市場にでることは希で同時代のコンタックスよりも高価なことも珍しくない。従って比較的簡単に手には入る初期のキエフは1949年製であろう。
*1949年製は、以前リミット2000台以下といわれていたが、ebay以降、リサーチの結果「6000台から7000台の間」に変わっている。

【zk】
 この沈銅タイプのレンズはKMZ製で、T*のように赤く「П」と言う刻印がある。レンズ前面の化粧リングには「zk1:2 19-47(ないしは48)」とあり、1949年頃からは「Зоркий zk 1:2 F=5.0CM」Зоркий(ゾルキ)となる。その後、ЮПИТЕР-8(ジュピター)と名前を変え、1950年代にはいってからはアーセナル工廠でも製造が始まった。外観からも判るように、沈胴タイプのcarl zeiss jena sonnar 1:2 f=5cmそのもので、アルミ鏡筒、コーティングされたタイプである。
 「zk」とはZeiss+KMZの意だろうか?、一般にはゾナー・クラスノゴルスク(KMZのゾナー、の意)と言われ、日本の研究サイトではzkは一般にゾナー・クラスノゴルスクの頭文字という見解だ。ちなみにビオゴン35mmf2.8のKMZ製はBK(ビオゴン・クラスノゴルスクとされる)である。
 革張りのボディーはコンタックス同様にニキビが出る。スプール、背蓋ともかなり後のモデルとも互換するため、俗に言うフルーツポンチになっていることもあるだろう、ここにあげた物も完全なオリジナル状態であるとは限らない。コンタックスIIと較べてみてもファインダー、シャッター、表示される数字などはまった同じでネームプレート以外にキリル文字はない。ちなみに、フロントのキリル文字のネームデザインは1947、1948で見られたようなデザインされた飾り文字ではなく、1949年以降なぜか素っ気ないものに戻ってしまった。これは最後期の1948zkである。

【No name Contax/Kievについて】
 ところで、よく混同されているのが通称、No name Contax/Kiev、ネームプレートに刻印のないタイプのキエフがある。人によっては「これは最初のキエフ」と言う誤解されているが、No name はシンクロの付いたキエフであり、*1963年製なのである。 また、この名無しモデルは、一部ではOCCUPIED GERMANYの刻印やゾナーがつけられていたこともあり、キエフが一般に知られるようになる以前にはカール・ツァイス・イェナの製造であると思われていたがNo name は紛うことなくキエフ4aである。
*1963年製:諸説あり。前年の1962年には東西関係で最悪の政治問題、キューバ危機があったこともあり、ちょうどその頃に出たということで様々なストーリーがまことしやかに語られているのがNo name なのである。
参考:Kasuyaさん、Charlieさん、Peterさん、そしてZeiss Historica Society、cameraquest.他多数。
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by みらんぢ

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