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Canon SII

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種類: SII型
発売年: 1946年
メーカー: 精機光学
サイズ: x x mm
重量:
シャッター: 布幕横走りフォーカルプレーン B、1〜1/500秒
ファインダー: 二重像合致一眼式
標準レンズ: セレナー 50mm F3.5(3群4枚、テッサー型)
レンズマウント: L39スクリューマウント
シリアルナンバー: 21925
生産台数: 約8000台
分類番号: グループ1b

 キヤノンの前身、精機光学研究所は吉田五郎とその妹婿内田三郎によって創設された。1933年のことである。ライカやコンタックスに負けない日本製の精密35ミリカメラを創るのが目標であった。そしてその吉田が造ったカメラがカンノン(KWANON)である、熱心な観音信仰者であった吉田の命名であった。レンズは仏陀の高弟、マーハカサーパに由来して「カシャパ」と名づけられた。アサヒカメラにも広告がでて、「潜水艦ハ伊号、飛行機ハ九ニ式、カメラハKWANON皆世界一」というキャッチフレーズであった。1934年のことである。いかにも当時の時代を感じるものである。ただ、吉田はこの年精機光学を去っている。内田三郎とカメラの方向性の意見が合わなかったためだ。後年このカンノンの試作機がキヤノンカメラで発見される。ただ吉田五郎はそれを見るなりこれはカンノンではないといっている。はたして誰が作ったものか、本当の試作機かはいまだ謎である。時々カメラ展などが有ると出てくるカンノンもこのカメラである。

 内田三郎によって日本で始めて発売されたライカ型カメラ、それがハンザキヤノン(標準型)であった。1936年のことである。(1935年説あり)ハンザというのは2004年その100年近い歴史に幕を閉じた近江屋写真用品株式会社の商標。現在問屋業は廃業したが、ハンザテックという会社がハンザ製小物などを販売している。今でこそ写真問屋はほとんど全滅してしまい瀕死の状態であるが、戦前から戦後50年代までの問屋というのは大変な力を持ておりカメラメーカーの上に君臨していた。1936年という時代を見てみると、日本のカメラメーカーはまだ創世記にも入っていないような状態で、わずかにミノルタ(当時は千代田光学)が普及カメラを創っていたに過ぎない。レオタックスもニッカもまだ誕生せず、マミヤSIXも1940年を待たねばならない。ただ、この当時の日本の工業力(特に軍事工業)は世界に対して追いつきつつあり、航空機も名機九六式艦上戦闘機が、戦車でも九五式軽戦車が登場した頃である。1940年には世界を震え上がらせた零式艦上戦闘機が、1941年には世界最大の戦艦、大和が竣工している。このような時代であったが、着実に戦争に向かっていく時代でも有った。

 このハンザキヤノンは精機光学製であるが、レンズ、距離計、マウントなどは自社では製造できず、当時からの大光学メーカー日本光学に製作を依頼している。何故当時の弱小メーカーであった精機光学が、日本第一の日本光学の協力を得られたのか?それは内田三郎の兄、亮之介が日本光学の監察官をしていたためそのつてを頼ったのである。
 レンズはニッコール5cmf3.5が付いていた。キヤノンという名前は「聖典」「規範」「標準」という意味があり、カメラの規範、標準になろうという意味もあったのだろう。また、カンノンに語感が似ている点も考慮されたようだ。機能としてはライカIIクラスであろう。距離計の間にファインダーを置くのはライカが特許を取っていたため「びっくり箱」とよばれるホップアップのファインダーがつけられた。マウントは独自のバヨネット。ただ、標準以外に交換レンズは発売されなかった。
 この後、ハンザキヤノンシリーズは最新型(S型)、普及型(J型)、新標準型、普及型(スロー付)とバリエーションを増やすが、戦前ということもあり、数が少なく、また戦災で多くが消失してしまい、現在はなかなかお目にかかれない。
 最新型(S型)の時に標準レンズのバリエーションが増え、ニッコールF2(ゾナー型)、2.8(テッサー型)、4.5(テッサー型)が追加されている。戦後も普及型と最新型がわずかに作られている。ここまでのハンザキヤノンシリーズはキヤノンレンジファインダーの第一世代とでも言うべきものであろう。
そして、1946年このSII型が誕生している。当初は普及型(J型)で採用された独自のスクリューマウント(通称Jマウント)を採用していた。これはライカスクリューと同じ39mm口径ながらピッチが違う。間違った情報を元にライカマウントをコピーしてしまったとのうわさもある。
 1947年に精機光学はキヤノンカメラと社名を変更、この当時からではないかと推測されるが、マウントがライカスクリュー(L39)に変更になっている。このSII型からIVsb改までがキヤノン第2世代とでも呼ぶべきか? ライカに近づこうとバルナックライカに範をとった時代である。ただ、完全にバルナックライカをコピーしなかった点はさすがである。まず、当時、交換レンズはカメラ一台と値段が変わらずまだまだレンズをそろえて撮影という人間は少なかった。そのため、有効基線長を犠牲にしても標準の即写性を狙ったのだろうか、一眼式距離計が採用されている。ただ、現在望遠レンズを使う時はピントには注意せねばならない。また外観でもライカのような円筒形ではなく、左右の角ばらせた八角形(オクタゴン)のスタイルとなっている。これは西洋ではラッキーな数字は7であるが、日本では末広がりの八(あえて漢字で書く)という弦担ぎと、カメラを持った時の手に曲がる箇所に合わせたといわれている。
 まだキヤノン得意の変倍ファインダーは入っていない。機能としてはライカIII型クラスであろう。また戦後から自社製レンズも創り始め、ライカスクリューになったSII型からは全て自社ブランド「セレナー」に切り替わる。セレナーというのは澄んだという意味の「セレン」に由来しており、社内公募で決まった。レンズは標準で5cm F3.5のセレナー(テッサー型)が、また望遠も初めて用意され135mm F4(距離計非連動)が発売された。ただJマウントのSII型にはニッコールが付いているものも多く、普通のSIIよりはかなり高値で取引されている。この後キヤノンは交換レンズも充実させ(多分、自社製のライカスクリューでは一番充実したメーカー)、レンジファインダーの歴史も1965年発売のキヤノン7sまで続くこととなる。SII以降の歴史やレンズなどについてはその後の機種の項へ譲ることとする。
 現在カメラで最大のシェアを持っているキヤノンおいて礎を築いたという意味ではハンザキヤノンと並んで重要なカメラではないであろうか?ただ、現在のキヤノングループにおいてカメラ産業の割合は1%にも満たない。生産台数はJマウントのタイプも含めて約8000台とまあまあの数である。結構目にする機会の多いカメラでもある。

【キヤノンSIIの使い方】
 バルナックライカが使えればまったく問題がない。ただそれでは味気ないので、バルナックライカを使う時の注意も含めて書いておく。まずフィルムの装填であるがこれが一番面倒臭い。まずフィルムを鋏で切ってリーダー部分を細長くしなければならない。そうしないとスプロケットや圧版にフィルムが引っかかって装填できない。テレホンカードや名刺などを使う方法も言われているが、あまりお勧めはしない。圧版を傷つけたり、中に切れ端が残ったりと思わぬトラブルを招く可能性があるからだ。撮影で大量のフィルムを使う時はあらかじめカットしたフィルムを持って行くほうが良い。ただカットしてあっても寒い中や小雨が降る中などでこの面倒くさいフィルム交換は出来ればしたくないものである。感触は後のIVSbやIVSb改などに比べるとやや落ちるもののなかなかよい感触である。シャッター音はライカに比べると甲高い。1/500のシャッターショックが強い。一眼式距離計で基線長があまり長くないため望遠でピント合わせは苦労する。ファインダーはバルナックライカ(IIIG除く)と同じで標準のみ、ブライトフレームはもちろん無いし、パララックス補正もない。本家ライカでもこの時代のIIICには付いていないので特に見劣りがするというわけではないが、まだまだ写真を撮れるというのに多くの技術が必要な時代であった。特に禁止操作や自爆操作もなく素直に使えるカメラである。ただ、巻き上げの時はできるだけキャップをしたほうが良い。キャップ無しで巻き上げるとフィルムへ漏光することが多い。これも板金タイプのライカと同じである。後のIVSbではそのようなことは無い。

by 絶版倒産カメラ狂

Canon IVSb

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種類: IVSb型
発売年: 1952年
メーカー: 精機光学
サイズ: x x mm
重量:
シャッター: 布幕横走りフォーカルプレーン T、B、1〜1/1000秒
ファインダー: 二重像合致一眼式
標準レンズ: セレナー 50mm F1.5、F1.8
レンズマウント: L39スクリューマウント
シリアルナンバー: 129642
生産台数: 約35000台(IVsb改型含む)
分類番号: グループ1b

 1946年発売のキヤノンSIIの途中よりキヤノンはライカスクリューマウントを採用して、以後ライカスクリューを採用していく。1948年のIIB型で、キヤノンの特徴の変倍ファインダーが採用された。SII型がマウントが二種類で、第一世代というべきハンザキヤノンシリーズとライカスクリューを採用した第二世代の過渡期的なカメラであるとするならば、IIBをもって第二世代に完全に入ったといえるだろう。変倍ファインダーとは50mm用のファインダー0.67倍、等倍(100mmに相当とあるが、周辺も曖昧であまりフレーミングにはむかない)、1.5倍(135mmに使えないことは無いがやはり周辺が曖昧でフレーミングには不向き)の三種類に変更できる。この1.5倍があるというのが非常によく、標準レンズのスナップ撮影などには一眼式の距離計の恩恵にあずかれ、望遠などでは1.5倍を使えばライカに負けない有効基線長を得ることができ、ピント精度もよい。もちろん標準などの開放付近などでも便利である。このキヤノンの発明は非常によいと思うのだが他のメーカーでこの方法を採用したメーカーはなぜか無い。技術的に困難だったのか、それともコスト的な問題か? またIIB後期から、中枠がダイキャスト化されている。

 その後キヤノンは1/500秒までのIIシリーズ、1/1000秒搭載の高級型のIII型、で発展していく。III型系はすぐにシンクロ接点がついたIV型計へ変更され、以後1/500秒までのII系(後にシンクロ接点も付く)とIV系で発展していく。そしてIVS型から外装もダイカストになり精度が向上した。そして、1952年にこのIVSbが発売される。名前が示すとおりIVSの改良型である。キヤノンは改良型に小文字のbをつけることがあるが、このIVSbもその例外にもれない。ややこしいことにこのIVSbにはIVSb改型というのがあり、改良型の改良型ということになるが、IVS型自体がIV型の改良型で有りこれまたややこしい。キヤノンのレンジファインダーは数が多く、特にこの第二世代が特に複雑怪奇でこのキヤノンのレンジファインダーだけで一冊の分厚い本が書けるだろうし、ホームページも造れるであろう。何せ、約40種類もあるのだから・・・。キヤノンの商売上手はこの頃からで、色々な小改良を出して、購買層を刺激したのだろう。

 キヤノンIVSbはライカIIIfに負けないカメラであるといえるだろう。使い勝手では明らかにライカIIIfよりもよい。作りもこのころのキヤノンはその後のコストダウンの影響も無く、戦後ある程度経過したための品質向上、工作精度の向上などもあいまって、円熟期、黄金期ともいえる。巻き上げも滑らかで、シャッター音もよく、変倍ファインダーの便利さもあり、非常によいカメラだ。しかも、当時はじめてX接点とFP接点の自動切換えの付いた、シンクロレールがつき、専用のストロボやフラッシュを使うことでホットシュー的に仕えるという利便性もあり、当時としてはライカIIIfを超えたというのもあながち嘘では有るまい。さらにこの後のIVSb改では倍数系列のシャッターになり、巻き上げ前でもシャッタースピードが分かるよう矢印が入り、なおかつ感触もIVsbよりさらによくなり、完成形といえる。まさにライカIIIFを完全に追い越したカメラであった。
 ただ、しかし、このIVSb改が発売された1954年は世界のカメラメーカーにとっては魔の年であった。そう、ライカM3が発売されたのである。結局キヤノンはその背中に追いつき今まさに抜き去ろうというところでまた圧倒的に引き離されてしまったのである。他の多くのメーカー同様、キヤノンもライカM3に対抗するため脱バルナック型へ進むこととなる。それがVT以降のいわゆる第三世代とでも言うようなシリーズとなっていく。
 IVSbは改型も含めて約35000大が生産された。当時の値段はセレナー1.8付で74000円、1.5付きで84000円となっている。ニコンと並んで国産最高級機であった。キヤノンIVSb系にはライカビットと同じようなトリガーレバーのような物もある。結構珍品であまり見ない。以前知人にこのトリガーレバーが付いたIIS改(IVSb改から1/1000秒を除いたもの)をさわらせてもらったが、感触もすこぶる良かった。このトリガーレバーは底蓋ごと交換するものであるが、この後VシリーズVIシリーズではレバーモデルとトリガーモデルを作り、交換式ではなくなった。

【IVSbの使い方】
 バルナックライカが使えれば問題は無い。フィルムの装填についてはSII型のところに詳しく書いてあるので参照してもらいたい。その他のライカと違う操作の点はまずは変倍ファインダー、標準のフレーム枠の0.67倍。この状態でも距離あわせが出来て速射性に寄与している。さらに等倍では周辺が曖昧ではあるが、100mmに使えないことも無い。1.5倍はレンジファインダーとしてはライカと同じ程度の有効基線長が得られて望遠撮影にもむいている。135mmのフレームに使えないことも無いが、100mm同様やはり単体ファインダーの使用をお勧めする。もう一点シンクロ撮影であるが、このレールが現在のものとはまったく互換性がない特殊な形状で普通のストロボ撮影は不可能。専用のアダプターがあるようであるが数が少ないうえに小さなものの割にはかなり高いのでお勧めできない。その他は感触もよく数も多いため比較的安価で、ライカコピー入門としてはなかなか良い一台だろう。出来れば改型のほうがさらに良い。数は少ないがビットもある。これは底蓋をはずして、そこへビットを取り付けて使用する。もちろんライカビットとは形状が違うため互換性はまったく無い。

【レンズについて】
 このカメラには一つ前の標準、セレナー50mmf1.9が付いて
いる(IIB〜IV型ぐらいまで付けられていた沈胴レンズ)。4群6枚ガウス型。フィルター径は40mmねじ込み。最小絞りが11までしかないのが不満だが、当時の大口径レンズには最小絞りが大きいのはよくある話である。

by 絶版倒産カメラ狂

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