当サイトにようこそ! こちらは主に6-70年代に活躍したペトリの一眼レフカメラについてまとめたサイトです。ペトリの歴史は大変古く、1907年に創業された栗林写真工業社から始まります。戦前戦後は皆川商会を通じてファースト名等で蛇腹カメラ・スプリングカメラを販売していましたが、50年代半ばからはレンズシャッター式の35mmカメラに力を注ぎ、いよいよ59年に「ペトリ・ペンタ」を発売するようになって、主力機種がフォーカルプレーン式一眼レフカメラに移行しました。こちらでは、そのペトリ・ペンタから、77年に一旦(株)ペトリカメラが倒産し、組合が中心になって(株)ペトリ工業として80年に復活させたカメラ、MF-10までの各モデルについて述べられております。ペトリの一眼レフカメラの形体は主に3種類あって、ペンタから始まる八角形のボディと、フレックス7から始まる大柄な四角形タイプ、それに末期のコンパクトなMF-1のボディになります。さらに、露出計の有無やAE機構が組み込まれたものかどうか等で6種類に分類し、それぞれのページで各モデルについて説明を加えています。また、カメラ以外に交換レンズやアクセサリーのページは別に一つにまとめていますが、これらは適宜内容を追加して行く予定です。 | ||||||||
当サイトをご覧頂くにあたって、一つ知っておいて頂くと便利なことがありまして、ペトリのカメラを知る上で重要になる事柄でもあります。すなわち、左の画像のようにペトリのカメラには裏蓋を開けるとフィルムパトローネの収まる位置に数字のスタンプが押されていることです。これは最初の一桁が生産年の一桁目を示し、後ろの一桁ないし二桁が生産月を示していて、この例の場合「511」の「5」が65年か75年のどちらかになりますが、カメラは70年代デビューのFA-1ですから、75年になります。後ろの「11」は月ですから、75年11月製造の固体であることが分かります。 | ||||||||
ただし、ペンタV3の頃まではこのフィルム室印字が一桁しか押されていない場合があり、それは登場初年度のボディで、年が省かれて月だけが記されたことのようです。また、海外向けのOEM機にはSやK、G等が数字の前に押されているものもありますが、これらは何を示すのかは今のところ判然としません。何はともあれ、このフィルム室印字が年月を示すことがほぼ間違いないので、これを参考に話を進めております。 | ||||||||
ペトリは自分が一眼レフカメラに目覚めた70年代半ば当時、青少年だった自分にはどうも安っぽく(実際かなり安かったんですけどね)映って、何か田舎臭いようなイメージが強く、自分だけに限らずあまり若者受けしないカメラだったのは間違いないでしょう。その大変安い価格設定から、他の人気メーカーのモデルが買えない場合にとりあえずペトリを購入するような場合も多々あったものと思われます。それでも、今中古市場に豊富にペトリのカメラは出てきますから、しっかりと売れていたのは間違いないはずです。しかし、ボディに比べ、交換レンズの比率は大変低く、135mm以外は思いの他少ないようです。とは言っても、21mmや300mm以上の超望遠以外はそれなりに出てくるので、普段の撮影には今でも困ることはありません。それに、ペトリの標準レンズはどれも大変に良く写り、長らくトプコンを中心に様々なメーカーのレンズを使ってきましたが、少なくともきちんと整備された標準レンズは、他社のものと比較して遜色ないばかりか、かえって結構上位に位置します。それに、ペトリの大きな特徴だったプラクチカ型の斜め押しシャッターボタン、決して軽快でもなければ静かでもないけれども歯切れの良いシャッター/ミラーの音、ホールドしやすいボディ、そして意外にも今でも露出計が生きた個体が多いのも魅力です。実は、ペトリの故障は多くがシャッター幕の不具合や一軸カムシャフト周辺の油切れから不動になる場合が多く、しかもそれらは比較的早い時期に動かなくなってしまってそのまま使われなくなったらしく、結果として露出計が酷使されてこなかったことが、今になって良い結果につながっているように思います。シャッターの不具合は、経年劣化によるゴム引き布幕の硬化やリボン切れの場合は修理費が嵩みますが、単純な油切れ・油分の硬化が原因の場合が多く、ちょっといじれる人なら簡単に直る場合も多いです。そして、自分でメンテナンスしたボディにフィルムを通し、写した画像を見てしっかり写っていることを確認すると、その写真がたとえ他の人にはつまらない被写体でも、自分にとっては得も言われぬ喜びを与えてくれます。 by TopGabacho(トプ・ガバチョ) |
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