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1948年、ジェノアの軍用精密機器メーカーであったサン・ジョルジョが開発した優秀なカメラ。マルコ・アントネット氏によると、このカメラがイタリアにおける最高のカメラだそうです。一見してその外観から何やらゴチャゴチャと機能が収められているようですが、実際このカメラは他のライカ型カメラにないものも備えられてます。
まずはファインダーですが、これはコンタックス風の基線長がびょ〜んと長い一眼式の距離計が印象的ですね。測ってみたら、ぴったり6cmあったものの、ファインダー自体は一眼式で倍率も0.7倍程度なんで、有効基線長はそれなりになってしまいますが、まあこれは許すとしましょう。
ファインダーには着色が無く、見ていてすっきり爽快。像の分離もはっきりしていて、思わず「こりゃええ!」と言ってしまいたくなります。 |
ビューファインダー側の下に付く黒く長細い窓は、このカメラの大きな特徴の一つであるオプチカルウェッジ式(光学式)の露出計の採光窓です。ここから入った光の強さが、ファインダーアイピース下の帯に入った数字に反映し、その数字が何とか読める位置が適正露出になるんです。それを背面の露出換算表に当てはめて絞りとシャッタースピードを決定する訳。後の大衆機にもよく使われましたが、さすがにヤヌアのものはとてもまじめに作られた精密なものですね。ライカコピー機は多いけれど、こうした機能を備えたものはほとんどありませんが、なにか使ってみたくなりますでしょ(^∇^)v
シャッターはT.1〜1/1000秒で、ダイアルは一般的な回転式でも二盤式でもない点でバルナックライカを超えてますね。かなり早い頃から一軸不回転式シャッターを完成させていたのはホント立派です。ただ、バルブはダイアルには「T」と書かれてますんで、一瞬「タイム」かと勘違いしそう。まあでも、シャッターボタンを押し込んだ状態でそのままボタンを右にひねると、そこから戻らなくなるので、その状態にしておけば「タイム」になるんですよ。それにしてもでっけーダイアルでしょ。そのおかげで回しやすいのは良いのですが、時計回り(低速方向)にしか回らないので、一段高速にしようとしたら、ぐるりと一周させないとダメなんです。これが欠点ですねぇ。あ、ちなみにちょっと持ち上げて回すようになってます。
レンズはエッセジー50mm f3.5という沈胴式のものが付きます。これは平凡なテッサー玉ですが、実はマウントがL39ではなく、専用のバヨネットマウントになります。交換レンズで泣きが入ります。まあ、マウントをオリジナルにしたのは、設計者のこだわりと意地があったんでしょうなぁ。ユーザー泣かせですが、マウントロック解除ボタンはレンズ側にあって目立たないように作ってあるのは結構エライかも。 |
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で、レンズ名の読み方ですが、これまでのクラカメ雑誌には「エッセイジ」とか「エッセージ」とか書かれていましたが、どちらも誤記です。実はコレ、San Giorgioの頭文字の「S・G」を表すものなのだそうで、日本語の「エス・ジー」をイタリア語で表記すると「Esse・Gi」となり、読み方も「エッセ・ジー」となる訳。意外と味も素っ気もないネーミングでした。
さーて、上の画像でお分かりでしょうが、背面から見ると軍艦部はかなりゴチャゴチャした感じです。接眼窓の右側はシャッターダイアルのところまでくぼんでいて、ここにはフィルムカッターらしき形でセルフタイマーが備え付けられているんですよ。ガンマでここに付いていたレバーは正にフィルムカッターでしたが、あちら様は初めからダブルマガジン式なので必需品であるのに対し、このカメラの場合は普通に巻き戻しノブが付いているので、もしカッターが付いていたとしても、エキザクタと同様「あまり使わないけどあればあったで数年に一回ほど有り難い備品」と言った程度の存在になっちゃいますもんね。で、このセルフタイマーは、巻き上げ後にレバーをセットし、シャッターボタンを押すと稼動するんですが、そのままだとシャッターは切れないんすよ。ボタンを押したら「タイム露出」と同じ塩梅でボタンを右に回して置かないとアカンのです。そうすれば「ジ〜(7秒くらい)〜カチャン」となります。
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ファインダーの上部のダイアルは視度調整用のもので、かなり大きなボケからそこそこのキツさまで調節できます。数字は書かれていませんが、そうねぇ、他のカメラの例から推測すると、+6から‐3までと言った具合かなぁ。
巻き戻しノブの根元に付いているのはフィルムインジケーターで、バルナックのような視度補正用のレバーではないんですよ。 |
ボディ全体に目を移すと、このカメラはバルナックライカよりも一回り背が高くて、太っちょです。角は丸く仕上られていますが、前後面の左右に段差があって厚くなるので、ホールディングは今一歩かなー。シャッターボタンも妙に巻き上げノブに寄っていて、ちょっと違和感のある位置ですが、まあ、許してあげましょう。それにしてもゴテゴテしたボディですね。軍艦部にはエプロン部が見られ、そこからするとこのカメラはライカIIIcを参考にしていたのかもしれません(←いいかげんな発言〜)。
ちなみにこのカメラはシンクロ接点が設けられた最初の頃のもので、No.450865になります。この後で出たシンクロ接点が軍艦部裏側に移されたモデルも少ないそうですから、一説に3000台ほどの生産と言われてきましたが、何の根拠もない数字です。実際は間違いなく1100台以下です。ちなみにこのカメラは51年までの3年間作られたけど、当時イタリア国内でも13万5千リラもして、本家バルナックライカIIIcよりも高価であったため、あまり売れなかったそうです。 |
こちらはN0.451000の前期型シンクロなしモデル。おや? 1000番のこいつにシンクロがなくて、上の865番にシンクロが付いているのは「はてな?」ですが、上記のモデルがシンクロを試験的に加えた過渡期のモデルなんでしょう。ちなみにケースもしっかりと正面のシンクロ接点部分に丸い穴が設けられていまして、間違いなくオリジナルなものです。こちらのシンクロなしモデルのケースには当然そうした穴などありません。 |
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で、こちらが後期に作られた、シャッターダイアル下(背面側)に接点を持つシンクロモデルです。No.451045ですが、正面から見ると、「何だ、変わんねーじゃん」と思われるでしょうが、シャッターダイアルの上面がツルっとしてるでしょ? 下の画像で見ると分かる通り、ど真ん中にあったマイナスネジがこのモデルでは使われてないんですよ。あ、やっぱ大して変わんないです(^o^)。 |
それにしても、このシンクロ接点の形状がまた特殊でして、こんな形状の接点を持ったフラッシュ/ストロボを見たことがないですねぇ。ですんで、未だにこれがしっかりと機能しているのかどうかをチェックしたことがありません。宝の持ち腐れ〜。 |
で、更に良く見ると、X接点が1/25秒であることが分かります。さすがに40年代のカメラ。遅いですねー。ちなみにシャッタースピード表示はやはりT.1〜1/1000秒。前でご紹介した865番のシンクロモデルのシャッターダイアルには1/10秒のところにも「M」マークが入ってますが、FP級は1/50秒以上で合うのかどうかは不明。 |
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で、生産台数の話に戻りますが、多分マルコさんの『Made in Italy』に書かれているためか、国内で紹介されるヤヌアの記事では、それを元にして総生産台数が約3000台と言われているんでしょう。でも、今のところ色々なヤヌアの画像をチェックした限りでは1100番を超えるものを見たことがございませんです。と言っても見てきたのはまだ10数台程度なんですがね。それらの大半がノンシンクロの3桁台のモデルでして、マジで3000台というのはあり得ませんね。大体、カメラというのは登場してしばらくの間は売上もそこそこになるでしょうが、売れないモデルが後半からぐっと売上を伸ばして行きながらそこで急に終わるのはどう考えても変。また、シンクロモデルが1000番前後に出来上がっていて、3000台あるなら残り2/3はシンクロモデルになるはずですが、これまで見てきたものはここでアップしたワテのものとマルコさんに頂いた一番下のモデルの画像しかありません。あ、もう一つ、シンクロタイミングダイアルがボディ前面に入ったモデルもわずかに作られてまして、その番号も102X番でしたから、実際は1050台程度なのではないかと確信してますが、もし1100番を超えるヤヌアを見たことがある方、どうぞご連絡下さいましね。 |
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Januaには不思議なことに、接写用アクセサリーが充実しとりまして、「えっ?レンジファインダーなのに?」と思われちゃいそうです。例えば、左の画像の前に並ぶクローズアップレンズなんて、自分も「レンズに付けても確認できないやんけー!」と思ってましたが、こりゃ、単体で購入してもこのナゾは一生解かれないままに終わった可能性あり。実に意外な使い方をするものでした。で、その使い方とはこんな感じ。意外でしょう? |
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ヤヌアは接写システムでM42マウントを利用しましたが、こんなシステムさえも作っていました。すなわち、M39ライカマウントのカメラにフランジバックの長い一眼レフ用のM42プラクチカマウントのレンズを利用できるようにしたものです。使い方はボードにM42マウントのマクロや望遠レンズ等のレンジファインダー機では使いづらいレンズを装着し、画像のように後ろ側でピントグラスや高倍率ビューワーを通った像を見ながら焦点合わせして、そのままレンズ側をスライドさせてカメラ側に持って行って撮影する訳です。ライカにも接写専用で同じタイプのものがありましたが、それはあくまでライカマウントのレンズ用で、フランジバックの関係から無限遠は当然出ません。では、望遠レンズはどうかと言うと、ライカにはビゾフレックスと言うレフボックスがあり、それ専用のレンズを使うことで、きちんと無限遠撮影ができるようになっていました。しかし、そうした専用レンズは極わずかで、普通の鏡胴のレンズでは、当然レフボックスの分だけレンズが前に出てしまって、かなりきつい中間リングのような状態になってしまいます。それに対し、ヤヌアのシステムは初めからフランジバックが長い一眼レフカメラ用のプラクチカマウントのレンズを使うことで、レンジファインダー機と一眼レフ機のフランジバック長の差の分だけ利用できるスペースに、このアダプターを噛ませれば、どのM42のレンズでも無限遠から使えることになります。もちろん充実した一眼レフ用のマクロシステムを利用しても良いし、上記のヤヌア→M42マウントのアダプターとクローズアップレンズも使えることになりますが、問題は使うカメラ側のマウントがM39になっていて、画像のようにヤヌアではなくライカで使うようになってること。なぜせっかく自分のところのカメラがあるのに、ライカマウントにしたのか、本当に訳が分からんですが、今となってはかえってこの方が幅広く使えるので、良かったかも知れないですね。 |
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ヤヌアのアクセサリーはどこまで発売されていたのか分かりませんが、交換レンズはKleitos(クレイトス)2.8cm F5.6とTeleos(テレオス)20cm F4.5が作られたそうですが、幻のKritios(クリティオス)5cm F2ともども、ほとんど試作のような本数しかリリースされませんでした。それにしても、28mmと200mmとは、サン・ジョルジョ社も大胆な品揃えを試みたもんですね。さすがにレンジファインダーで200mmは無理があるので、ひょっとすると上記M42マウント用のシステムを用いるレンズだったのかも知れませんね。
ところで、Essegi 35mm F3.5も試作段階でしたが作られていまして、この画像中央のものがそれになります。しかし、残念なことに作りかけのもので、マウント部が取り付けられていないため、残念ながら使うに使えません(泣。しかし、現代ではSony α7用のLマウント用アダプターを改造して、このレンズを装着して撮影してみると言う道もありますね(^∇^)v |
In 1948, the San Giorgio of the military use precise devices maker of Genova developed an excellent camera named "Janua". The appearance is complicated at first sight, this camera is equipped the function that other cameras without having. The rarest system is an optical photometer. It is established under theview finder, and the exposure conversion panel is kept to the back. The lever that is in the surface is a self-timer. When you pull this lever and push the shutter button and the button is twisted furthermore, the timer operates. The shutter dial does not turn, even if the shutter operates. The Janua has the close-up photo accessories (the most under photo image). Please click somewhere of the web-page of here, if you want to know the usage of this.
By the way, there is the theory that this camera was produced 3000 units, I think that it was less than 1500 units probably. Because the number of the final model (the synchronized type) is the about 1050 degree. |
The image proffer: Mr.Marco Antonetto
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